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月桜田毘女と瀬織津姫

しばらくblogを書いていませんでした。
その間に、それまでやってきた占いの探求を
一切しなくなり(^_^;)まして、、、
ただ、探求は好きなので、、
今は、古事記や古史古伝に興味を持っていて
一人で楽しんで調べております。
一人でああだこうだと考えるのが楽しくて、
そして、自分が納得する答えを出したい、、
でもそれは、自分の答えなので、、、
誰かに伝える、というのもなんか違うなぁって
blogからは遠のいていました。

歴史ってもう、すごい前のことはもう
何がほんとうのことだったのかは、、
わからないですもんね(^^;)
勝者の歴史だから、、とか言われてるし、、
考えても仕方ないじゃないかー
とも思うんだけど、、
それを言っちゃあお終えよー、です( ̄▽ ̄)
そもそも考えるのが好きなんだろ私は。
ただそれだけかもしれない( ̄▽ ̄)

で最近、「宮下文書」「富士古文書」に出会い
ああだこうだと思考を巡らせていたわけなのですが、、、
ちょっと書きたくなったのでありました(*´∀`)♪

きっかけは「月桜田毘女」
この方は「宮下文書」での月夜見尊のお后さまで
岩長毘女と木花咲耶毘女のおばあさま
でありまして、、、
いろいろ思考を巡らせている中で
「瀬織津姫」なのでは? と、、、

そう思ったのは、、、
まだ、宮下文書を知る前に、
いろいろ検索していた時に、、
「天照る」という言葉は、月の形容詞で
「天照る月」という風に、
万葉集では詠われているという記事を読んで、、
え?、、と
じゃあ、、ホツマツタエの天照が、、
月夜見尊だとしたら??と
そう思ったりしていて、、、
そこへ、宮下文書の月桜田毘女を知り、
ホツマツタエの天照が月夜見尊なら
瀬織津姫は、月桜田毘女、、って
自分の中で繋がったのでありました、、
月や桜と言えば、瀬織津姫もだよね(๑˃̵ᴗ˂̵)

ホツマツタエでは、瀬織津姫
宮下文書では、月桜田毘女
というお名前なのではないか???
と考えてはどうだろう??

話は変わるのですが、、そもそも、、、
古事記や古史古伝を探求し始めたきっかけは
瀬織津姫と饒速日命でした。
二神は、ご夫妻というのは、
よく記事で読むのですが、、
いろいろ調べてても、、なぜそう言われているのかがわからない、、
ホツマツタエでは、、天照の后が瀬織津姫で
饒速日命は、天照と瀬織津姫のお孫さんのお子さんで、、ホツマツタエを研究されている方も
はっきりご夫妻ではないですよ、、と
言われていたし、、
そして、饒速日命の后も登美夜姫、天道日女
で、瀬織津姫とは書かれていない、、
でも、たくさんの方が、ご夫妻と思っているには、それなりに根拠があるはずだ!!と思い
一生懸命探していたわけなのでありました。
結果、いまだに確たる何かをみつけられては
いないのですが、、

私の今の時点での自分への答えとしては、
「ホツマツタエ」の天照のお后様
もし、天照が月夜見尊だと考えるならば、
瀬織津姫は、月夜見尊のお后様、、です。

一つ、、
瀬織津姫は、天照大御神の荒魂とも言われていて
饒速日命は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命、
すなわち、天照大御神??
瀬織津姫も饒速日命も天照大御神、、と言われる
同神なのか??一体なのか??
このあたりにも、ご夫妻と言われる所以があるのかなぁ、、と思いました。。。
不思議なご縁があるのでしょうね、、、

引き続き探求したいと思います(*´∀`)♪

それにしても、月桜田毘女、、
素敵なお名前だなぁ(*´꒳`*)ホワホワ
どんな方だったのでしょうね、、、
瀬織津姫も隠された神さまとも言われていますが、、今やたくさんの方が知っているし、、
たくさんの方に愛されている神さまだなぁって
思います。
月桜田毘女のこともたくさんの方に
知ってもらえる日が来ますように、、
きっと、木花咲耶姫と一緒に富士山を
守っておられると思うのです(*´꒳`*)

ちょっとそんなことも思い
記事を書いてみました〜m(_ _*)m





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