【日本語版】「多様性を受け入れる社会を作るために」当事者が語るLGBTの現状

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はじめに

私たちは、社会的なマイノリティに関する問題意識のもと、LGBTと教育・当事者目線からのカミングアウト問題・福祉とマイノリティについて、自身が当事者である髙橋圭さんにインタビューを行いました。

プロフィール

髙橋さんは、保育士として勤められた後、2015年BTOKを開業、2018年共同で株式会社FUKUFUKU+(フクフクプラス)を設立しました。一般社団法人障がい者ワークスタイル研究所の監事/特別研究員も勤め、現在は、一般社団法人FUKU・WARAIにて就労継続支援B型事業所を設立し、障がいのある方とアートに関する取り組みを行っています。

LGBTと教育について 

渡辺:将来多様性を受け入れる社会を作るために、子どもたちへの教育が重要なのではないかと考えているのですが、髙橋さんはLGBT教育の現状に関してどのようにお考えですか。  

髙橋:今、皆さんが行われている教育と、僕が受けてきた教育はやはり違うと思っているので、もしかしたら今の方がいいのかなとは思っています。僕が受けていた教育では、LGBTや多様性、ゲイ、同性愛という言葉は出てこなかったです。国語の教科書では、夫婦がいて子どもいることが当たり前に描かれ、生物の時間では、子孫繁栄するために生まれてきたと教わり、そこだけ言われると、確かにそうなのですが、ゲイとして生まれてきた僕は世の中のためになっていないのかなと感じる自分もいました。ゲイだけでなく、子どもが産めない女性や結婚しないという選択をされる方もいらっしゃるので、同じように感じている人もいると思っています。そのため、まだ教育の中では同性愛などのワードが少ないと思う反面、そのような言葉を出しすぎるのも違うと感じています。最終的には、女性に対して「彼氏いるの」ではなく、「好きな人いるの」というような、当たり前に男は女を好きじゃなければならないという考え方がなくなっていくといいのかなと思っています。  

渡辺:では、今後LGBTの教育というのは、決まった考えに固執しないことが大事とお考えという事ですか。  

髙橋:そうですね。僕はゲイなので、ゲイの立場でしかお話できないのですが、多分レズビアンの方や性に全く興味がないという方もいらっしゃるので、そういう人たちへの配慮を持って考えるとフラットにしていくのが良いと思います。難しいことではあるのですが、決まった考えに固執しないことが大事だと思います。  

渡辺:この教育に関連して、幼少期からの教育も大切だと考えているのですが、幼少期の教育で多様化をより意識させるためにはどのようなことができるとお考えですか?  

髙橋:そうですね。今僕は福祉に携わっているのですが、初めは保育士をしていました。そのため、幼少期に保育園でよく言われているトイレのスリッパの色では、「男の子は青履いてね」「女の子は赤履いてね」などは、やりすぎると刷り込みになってしまうと思っています。分かりやすいといえば分かりやすいのですが。ランドセルの色では様々な色が選べるけどピンクを背負っている男はちょっと気持ち悪いという感じに周りが捉えてしまうのも、幼少期からの刷り込みが関係しているのではないかと感じています。一概には言えませんが、こうでなければならないということ自体がおかしいのかなと思っています。男の子だからとか女の子だからというのも違うのかなと。過激すぎると、「ひな祭りって誰のもの」とか「子どもの日の兜は誰のもの」とかになってしまうけど、幼少期の刷り込みがあるのかなと感じているので、だからいろいろなことを選べる選択肢を広げてあげるということが良いのかなと思っています。例えば、「おままごとしている男の子もいいよね、おままごとが好きなんだ、将来料理人になってね」とか「格闘や外で遊びまわるのが好きな女の子がいたら、力強くていいねとか将来守ってね」とかですね。  

渡辺:私も幼少期から男の子は青や女の子は赤という固定概念があったような気がしますが、行き過ぎてしまうのも難しい部分があるのかなと感じました。 

当事者目線からのカミングアウトの問題 

渡辺:以前と比べると色や教育の機会が増えるなど変化があると感じているのですが、LGBTの受け入れに関して、日常的な面で当事者目線で変化は感じますか。  

髙橋:それは個人的にはとても寛容になったなと思っています。僕が幼少期のころ名前が思い出せないのですが、テレビに出ているゲイや同性愛って言われる人たちはオネエキャラタレントとして出ていたのを覚えています。オネエが来たよ気持ち悪いというのが笑いの一つになっていて、大人になってからはテレビ局からすると視聴率を上げなきゃとか、そっちの方がザ・ゲイとかザ・同性愛という感じで分かりやすいということだったのかなと分かるのですが、子どもの時、自分がゲイでそれを周りに相談できない時にあれを見てしまうと、僕たちの大人像というのはもうそれしかないんですよね。大人になると、僕はオネエ言葉じゃないけどゲイであると言ったら、みんなに気持ち悪がられるとか、あのような存在になってしまうと思っていました。しかし、最近だとテレビではマツコさんなどのタレントの人たちは、みんながみんな笑われる存在ではなく、称えられる存在になっている方もいて、また、ゲイって公表している芸能人やスポーツ選手の方もどんどん出てきて、昔よりもどんどん溶け込んでいる感があるので、今の方が目指せる大人像がしっかり見えると感じます。また、それを受け入れてくれる社会があると感じています。そのため、個人的には前よりかは良くなっていると思っています。  

渡辺:確かにそうですね。最近のカミングアウトした芸能人とかをニュースでたくさん見たことがあるので、その点は確かにそうだなと思いました。  

渡辺:このカミングアウトの問題として、カミングアウトの難しさに関しての変化はあると思いますか。  

髙橋:どうなんですかね。カミングアウトの難しさはまだ根強いと思います。人によってなのですが、カミングアウトもポンポンできる方とそうではない方がいて、僕はどちらかというとカミングアウトできないほうの人間だったので、必要に迫られたところもあってカミングアウトしましたが、僕は結果的にそれは良かったと思っています。なので、全体から言うと個人的にはカミングアウトはそんなに推奨していなくて、自分がしたいと思ったタイミングに、もししても大丈夫な環境下であれば、カミングアウトしてもいいっていうふうには思います。 

渡辺:なるほど。カミングアウトできることが一概にいいというわけでもないんですね。 

髙橋:皆さんにお伝えはしているのですが、カミングアウトして親の縁を切られてしまう方とか、親世代の理解が乏しいために「いつ治るんだ」「病院に行ってこい」みたいに言われてしまうこともあるので、もう絶対に言わないと決めている方もいます。近しい間柄だからこそ言うのが難しくて、僕の場合もカミングアウトしたら親を悲しませちゃうのではないかってすごい思ったし、もう孫の顔も見せられないし、ゲイという事を自分の中で負い目に感じていました。どのような反応をされるか分からないから言わないほうが親孝行だと言っているゲイの友達もいます。 

渡辺:近しい間柄だからこそカミングアウトをしやすいというわけではないんですね。 

髙橋:また、僕は長野の田舎出身なのですが、カミングアウトすることで、親だけでなく甥っ子姪っ子がいじめに遭うのではないかと思ったりしました。お前のおじさんゲイなんだってことで甥っ子姪っ子がいじめられるのも嫌だし。なので、なかなか言い出せないというのは、今もそんなに変わらないのかなとは思います。テレビの影響もあるので、友達には言いやすくなったりしたのかもしれませんが、根本的なところは、変わっていないのではないかと思います。  

渡辺:なるほど。その寛容度っていうことに関して、あまりカミングアウトを指標にするって言うのは良くないってことですかね。  

渡辺:カミングアウトすることで、逆に偏見が生まれてしまうという事もあるのかなと思うのですが。  

髙橋:そうですね。今お話しいただいたようにカミングアウトしたからと言って、すぐ明日から180度変わるかというとカミングアウトした側もそんなに変わらないですね。カミングアウトを一つの指標として見るのは測りやすい定義ではあるのですが、カミングアウトをして良かったのか、しないほうが良かったのかと悩む時期もありました。最終的には、みんなが言えるといいなとは思います。僕がカミングアウトしたときに一つ違和感だったのが、「カミングアウトして良かったね」「もっとみんなに言っとけばいいのに」って言われて。でも。普通の異性愛者の方たちは、「俺女好きだぜ」って言いながら歩いているわけではないのに、なんで僕だけ「男が好きなんです」っていうふうに言いながら歩かなきゃいけないのかなと疑問を持ちました。それはまた違うのではないかなと思って、「誰が誰を好きになっても、別にそれは関係ないよね」っていうふうな感じになればいいのではないかと思います。  

渡辺:髙橋さんの過去のインタビュー記事を読ませていただいて、2019年のカミングアウトに関する基準や、する側と受け入れる側の力も必要だという話を拝見しました。そのことに関連してなんですけど、アウティング問題に関して考えていることをお聞きしたいです。  

髙橋:本当に難しい問題だと思います。さきほどいわれたようにこちらがゲイだとカミングアウトした場合、全員に公表しているのなら問題はないですが、例えば僕が渡辺さんだけにカミングアウトしたとすると、渡辺さんは僕と同じ秘密を抱えなくてはならなくて。僕がゲイだってことを渡辺さんは他の人に言ってはいけないというか。きっと普通の友達同士に相談していたら、相談できることとかあったとしても、カミングアウトが原因の相談は、一人で抱えなければならなければいけなくなるのですよね。耐えきれなくて人に相談にのってとなったときに、それもアウティングになるのかという。本人のことを思ってなんだけど、ほかの人に言えないつらさをこの人にも背負わせちゃうのではというのが、カミングアウトの難しさでもあります。 

渡辺:なにか対策は考えられますか。 

髙橋:僕が考えるアウティングに繋がらないようにする方法は、もっと行政とかこころの電話相談室とか相談できるところがあるよというのを、当事者だけではなく、カミングアウトされた側ももっとクローズドな場所で開いといてあげれば、アウティングってもの自体も少なくなるのかなと思います。相談できる窓口っていうのが、された側にも必要なのではないかなと思っています。  

渡辺:相談できる場所を作るというのは重要なことですよね。  

渡辺:学習する中で、アライという言葉を学んだのですが、その立場で理解して共感する力をつけることが大事になってきますかね。  

髙橋:そうですね。アライのことで一つだけ思っていたことがあって。よくゲイなんですという話になると、アライなので大丈夫ですよ、ゲイの友達多いので理解ありますよという人がいるのですが、あなたがもしアライだとしても私ははじめましてですよねと、アライだから何でも話せますというわけではない、ということをアライの人たちにも知っていてほしいなと思います。例えば同じ学校に通っているからすぐ仲良くなれますか、とか海外でそこにいる日本人とすごく仲良くなって秘密全部打ち明けるかといったら、そうではないなと思います。LGBTに関して学んでくれていることとか、理解しようとしてくれているのは嬉しいことですけど、アライだからなんでも相談してとか言われても、まずは仲良くなってからねと思います。  

渡辺:確かにそうですね。性的マイノリティの方を一概にそのカテゴリーとしてみるのではなくて、その人を個人としてみるということが大事になってきますかね。  

福祉とマイノリティ  

渡辺:次に福祉の観点からのマイノリティのお話をお聞きしたいと思いまして。  

髙橋:最初に障がい分野の中のLGBTの話で行くと、ダブルマイノリティであるし、障がいがあってマイノリティの友人が何人かいて、聴覚障がいのゲイの友達とか、知的障がいでたぶんこの人は男性を好きなのではないかと言う方もいらっしゃいます。我々いわゆる健常者と言われる人たちのゲイはあらゆる出会いのツールがあるけれど、障がいがあるゆえに、やはりそこがなかなかコミュニティに入りづらいというところはあるのかなとは思っています。もともと同性愛でも異性愛でも、障害があるっていうところで、コミュニティに入りづらいというところは大きな壁があるので、まずはその点を取っ払わなくてはいけないなと思います。殺人を犯した人が精神障がいの人だったと言われると、すりこみが入ってしまうのですが、健常者の殺人のほうが断然多いのに、やはり障がい者は怖いとか、何考えているかわからないとか。関わったことがないから知識がないから、わからない未知の者だと考えてしまうので、個人的にはその点で皆さんと関わりがあればと思います。例えば今小中学校で障がいのある人と、健常者で分けてしまっているのを、一緒に学べる機会を増やして、必然的に関われる場があればと思います。さっき言っていただいたように、個で見る、LGBTの人ではなくて、髙橋、とか、障がい者でなく、田中さん、のように。繋がりがもっと増えればいいなと、障がい分野のほうでも思っています。  

渡辺:今はどのようなご活動をされているのですか。 

髙橋:今は障がいのある方たちが働きにくる場所、就労継続支援B型というところで仕事をしています。皆さんはこれから就職すると労働基準法に守られながら仕事をするので、最低賃金や休憩時間があるのですが、就労継続支援B型と言うのは、労働基準法に準じない、いわゆる、時間内は仕事から離れられないとか、何時間は続けて働かないといけないというような場所では働くのが難しい人がいるような施設です。  そこで来ていただいた方に絵をかいてもらっています。アートをもっと世の中に広げていくために、アートレンタルで、これを企業さんに届けると言う仕事をしています。その交換するお金を働きに来てくれている人たちの給料にするというような仕事ですね。この仕事を通して、総務部や企業と関わりをもってもらっています。そうなると地域で、今日は障がいのある人たちがではなくて、アトリエにっとの田中さんが来てくれるみたいだよ、となっていくと、もしかしたら障がいのある方たちが外で困っているとき、田中さんじゃんどうしたの、となったり。我々福祉の職員ではなく、ほかの人たちも地域で関わりを持てる、そんなことを広げていきたいなという活動をしています。  

渡辺:素敵な活動ですね。障がいの方が描かれた絵はどういった企業に持っていかれるのですか。  

髙橋:みなさんの知っているところではコクヨさんとか。ここら辺の地域でいうとオフィス家具メーカーの大手の内田洋行さんとかですね。あとは病院とか税理士事務所とかそういったところにいれてもらっています。  

渡辺:今後こうしていきたいなど未来像はありますか。  

髙橋:僕の父は視野障がいで、図書カードの穴くらいしか見えない障がいにある日いきなりなってしまいました。そうなるとできる仕事は指圧師しかなかったのですよね、ほんとは料理人として修業していたので、やっと自身のお店を持ってたところでしたが、障がいになってそんなに儲けられないからってと言って、指圧師として働いてくれていたんのです。そこが僕の中で、なんで障がい=仕事の幅が狭まっちゃうのかなと思っていました。例えば東京に生まれていれば、いろいろな障がい者施設にバスも電車もあるからここいきたいとかできますが、地方に生まれてしまうと、そこから通えるとこしかいけないのですよね。となると近隣の施設で、よくある封筒に封入作業するとか、公園の掃除に行くとかそういった仕事しかなくて。それが好きな人であれば問題はないと思いますが、もしそれ以外の仕事がしたいとなった時、我々であれば東京に引っ越すけど、ひとりで引っ越せるのか。家族も一緒ににっこせるのか?など大変だし。だからまずは今の活動を江東区で始めましたが、ほかの地域でも職業や趣味を選べるような仕事をたくさん地域に作っていきたいなと思っています。そのきっかけとしてまずアートを扱っています。

渡辺:そうですね、日本の障がい者の方の仕事というと、裏方の仕事の印象があって、そこを好きな仕事とか表にでる仕事になると、私たちとの関わりも増えるだろうし、その方たちの夢や自己実現に繋がるのかなと思いました。 

取材後の追加の話はこちら

取材後記 

髙橋さんの発言の一つ一つには優しさが溢れていました。自身の経験や独自の視点から、性的マイノリティや障がいを持つ人々が暮らしやすい世の中、彼らが夢を叶えられる環境を切望し、行動に出ている方なのだと伝わりました。彼らを決して特異な存在として眼差しを向けるのではなく、同じ現代に生きる一人の人として関わることが重要なのだと学びました。途中漠然とした質問を投げかけてしまったり、言葉に詰まってしまったりと至らない点もありましたが、髙橋さんが優しく言葉をかけてくださり、有意義な時間を過ごすことができました。ありがとうございました。 

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