勇気をもって関係性に踏み出す――宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』(晶文社、2019年)と映画「メッセージ」(2016年)をめぐって

 『急に具合が悪くなる』は、題名とは一見そぐわないデザインの本だ。表紙では思案気なチーターがピッチャーとしてボールを握り、裏表紙ではライオンがキャッチャーとしてミットを構える。読み進めるうちに、そのデザインの意味がわかってくる。医療人類学者の磯野真穂が哲学者の宮野真生子に対し、しっかり受け止めるから思い切って投げろと声をかけ、そのミットに向けて宮野が自分にしか投げられない球を投げ続けた、そういう往復書簡なのだな、と。

 けれども再読すると、そこにとどまらない関係性があることにも気付いていく。磯野はただ、宮野の投げた球を受け止め続けたのではない。磯野は、ある時には球を受け止め、けれども、ある時には球を強く打ち返している。章扉には、勢いよく近づいてくる球を視界にとらえて、片足をあげ、今にもバットを大きく振り切ろうとしている磯野(ライオン)の姿も描かれている。

晶文社・書籍紹介より
がんの転移を経験しながら生き抜く哲学者と、臨床現場の調査を積み重ねた人類学者が、死と生、別れと出会い、そして出会いを新たな始まりに変えることを巡り、20年の学問キャリアと互いの人生を賭けて交わした20通の往復書簡。

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 読み進める前、この本は映画「メッセージ」(ドゥニ・ヴィルヌーブ監督、2016年)と自分の中で絡み合う本だろうという予感があった。

 映画「メッセージ」は、テッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」(ハヤカワ文庫SF、2003年)を原作としたSFで、世界12か所に突如現れた黒い飛行物体の1つに乗り込み、ヘプタポッドと名づけた地球外生命体との意思疎通を試みる言語学者ルイーズの物語だ。

 何を目的として彼らが地球にやってきたのかを読み解くことが、ルイーズに与えられた任務だ。彼らが発する音は解読できない。そこで彼女が用いたのは、軍のキャンプにあったホワイトボードだった。

 「HUMAN」と記したボードを手に、ヘプタポッドに近づくルイーズ。その彼女に向けて、ヘプタポッドが墨のようなものを吐き出し、装飾がついた円環のような表意文字を描きだす。コミュニケーションの回路が開かれた場面だ。

 そうしてルイーズは、彼らの言語を読み解けるようになっていき、その言語習得の過程で、娘との日々をフラッシュバックのように想起するようになる。その体験に戸惑うルイーズは、次第に自分が想起しているものを理解していく。時制を持たないヘプタポッドの言語を習得するなかで、未来を垣間見るようになったのだと。自分が身につけた能力を自覚したルイーズは、それを活かして世界の混乱を収拾し、飛行物体は消えていく。

 しかし同時にルイーズは、自分が迎えることになる未来を知ることになる。共に飛行物体に乗り込んで謎の解明にあたってきた物理学者のイアンとこのあと共に暮らすようになり、娘を授かり、そしてイアンは家を出ていき、娘は病によって若くして亡くなり、自分はひとり取り残される――その未来を自分は今、想起しているのだ、と。

 そこまでの未来を見通したルイーズに対し、飛行物体が去ったあとでイアンが想いを告げる。そのイアンを抱擁しながら、ルイーズはつぶやく。

「この安らぎ 忘れていたわ」

 安らぎを忘れていたのは、イアンが去り、娘が亡くなったあとの自分だ。その自分が、イアンと暮らす家で抱擁のうちに安らぎを感じていた自分を思い出している、その未来の自分と重ね合わせるようにして、これからのイアンとの時間を自分に引き寄せるように、ルイーズがつぶやくのがこの言葉だ。
 
 イアンとの時間、娘との時間、未来に過ごすことになるそれらの時間を想起しながら、ルイーズは心のなかでつぶやく。

「この先になにが起きるか分かっていても、でも構わない。どの瞬間も大切にするわ」

 イアンが想いを告げたのは、ルイーズがこう問いかけて、みずからその未来への道を開いたからだ。

「イアン この先の人生が見えたら 選択を変える?」

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 ヨハン・ヨハンソンの静謐な音楽と共に幕を閉じるこの映画を2017年5月に映画館で見て、外に出ると、道端の植物が輪郭を増して色濃く見えた。

 のちに生まれてくる娘との別れを想起しつつ、子どもを作ろうかというイアンの提案を受け入れるルイーズ。そして、生まれてきた娘を「戻ってきて さあ」と抱き取るルイーズ。それぞれの場面でのルイーズは、未来を見通せるがゆえの哀切な思いを抱きながら、ひとつひとつの時間を大切に受け止めようとする。死と別れがその先に待っていることを知っているからこそ、共にあることがより大切に思える。

 けれどもそれは、特殊な能力を身につけたルイーズだけが感じる感覚なのではない。私たちは誰でも、いずれ死ぬ。死は、ゆっくりやってくるかもしれないが、突然、自分の生を断ち切るかもしれない。そのことを私たちはふだん、考えずに暮らしている。

 いつか迎えることになる死を織り込んで生きるなら、目にするもの、出会うもの、ひとつひとつの時間、ひとつひとつの言葉、それらの陰影はより深くなり、色合いはより濃くなり、受けとめ方が変わってくる。それまでの自分とは違う自分を生きるようになる。

 映画「メッセージ」は私にとって、そういう転換を促す映画だった。

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 宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』(晶文社、2019年)は、2019年4月末から6月末にかけての2か月の間に二人の間で交わされた20通の往復書簡から構成されている。がんの転移によって、「急に具合が悪くなる」可能性を医者から告げられた哲学者の宮野が、一つ違いの医療人類学者の磯野に往復書簡を呼びかけ、書簡をかわしている途中で書籍化が決まったものだ。宮野は、本の原稿がほぼ整うところまでを見届け、出来上がった本を目にすることなく世を去った。

 宮野と磯野は、もともとはそれほど親しい間柄ではなかったようだ。けれども宮野が磯野を対話の相手に選び、二人は2か月の間に10往復の深い対話を重ねることになった。宮野は往復書簡を終えたあとで磯野からなぜ相手が自分だったのかと直接尋ねられて、初めてこう語ったという。

「うーん、〈この人〉って思ったんだよ。話してみようって。うまく受け止めてくれる感覚があって」

 そのことが記されたあとがき(「『急に具合が悪くなる』の舞台裏」)と付記を読んだあとで往復書簡を読み始めた私は、自然と宮野の語りの方を、より注意深く読んでいた。宮野が語り手であり、磯野が聞き手であると考えて。

 そうして本を読み終えたあとで、映画「メッセージ」と絡めて感想を書こうと思った。なぜなら著者の磯野真穂が、読者に語ることを求めていたからだ。

この本はすでに著者の手を離れています。
この本が新しい「始まり」を作り出せるかは、この本を手にとってくださった皆さんが、この本から感じてくださったことを、皆さんそれぞれの人生に照らし返して「語って」くださるかにかかっています。
皆さんが、圧倒されたり、立場を考えたりして、黙り込んでしまったら、この本はここで終わりです。
だから口をつぐまないでほしいのです。

磯野真穂「『急に具合が悪くなる』を読んで口をつぐまないで欲しい」(2019年9月26日)

 感想を書くために2年半ぶりに映画「メッセージ」を観なおして、それを踏まえて『急に具合が悪くなる』について書こうとして、私は気づいた。映画「メッセージ」は、死を織り込んで生きるという話であると共に、対話へとみずから乗り出していく話なのだと。それは、『急に具合が悪くなる』を読んだからこそ見えてきた観点だ。

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 映画「メッセージ」で、世界12か所に出現した黒い飛行物体は、開口部を開いて人間を受け入れるものの、みずからメッセージを発することをしない。ルイーズがホワイトボードに「HUMAN」と記してみずから向かいあうことによってはじめて、墨絵のような表意文字でそれに応える。

 次の出会いの場面でルイーズは「LOUISE」とホワイトボードに書き込み、みずからを指さす。ヘプタポッドはそれに表意文字で応える。「新しい文字か?」とのイアンの問いかけに、ルイーズは答える。

「分からない。“人間”だと思うけど、最後が少しハネてる。疑問の印かしら」

 そしてルイーズは、持ち込んだ鳥かごの鳥が薄い酸素の中でもさえずっているのを確かめた上で、防護服を脱ぎ始める。頭を覆う防護服を外して顔を見せたルイーズがヘプタポッドに近づき、「よろしくね」とあいさつする。ヘプタポッドがそれに表意文字で応える。ルイーズはイアンを促し、イアンも防護服を脱ぎ、顔を見せて「イアン」だと名乗る。それに対し、二体のヘプタポッドはそれぞれ別の表意文字でみずからを名乗って応える。

 なぜ防護服を脱いで顔を見せる必要があったのか。それが、「地球に来た目的は?」との問いに答えてもらうためのコミュニケーションの第一歩だったからだ。その問いに答えてもらうためには、「質問」とは何かを理解してもらう必要がある。そして、「あなた」と「あなたがた」の違いを理解してもらう必要がある。ルイーズが防護服を脱いで顔を見せたのは、「HUMAN」と「LOUISE」の違いに対するヘプタポッドの問いかけに答えるためであり、集合概念としての人類と、個体としてのルイーズの違いを認識してもらうためだった。

 そうやってみずから対話へと踏み込んでいくことによって、ルイーズは彼らの言語を習得していき、時間を超える認識能力も身につけて行く。そうして彼女が身につけた能力を活かしていくこと、それによって彼らが地球を訪れた目的が果たされていくことになる。彼らが目的を果たすには、ルイーズがみずから対話へと踏み込んでいくプロセスが欠かせなかった。

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 みずから対話へと踏み込んでいくルイーズの能動性。そこに注目したあとで、『急に具合が悪くなる』を読み直してみると、宮野が往復書簡の相手として選んだ磯野の役割が見えてきた。

 宮野には、「病を抱えて生きることの不確定性やリスクの問題を、磯野さんと専門的に深めてみようという学問的な野心」があったという。その期待に応えて、磯野は、踏み込んだ問いを発し続ける。「急に具合が悪くなる」とはいったい何を意味しているのか。「かもしれない」というリスクにとらわれることと、「きっと、だいじょうぶ」という妙な確信に従うことを対比させて、磯野はその問いを宮野に返す。

 その問いによって宮野は、みんな等しく「急に具合が悪くなる」かもしれないんだ、との気づきに導かれ、こう語る。

 分岐ルートのいずれかを選ぶとは、一本の道を選ぶことではなく、新しく無数に開かれた可能性の全体に入ってゆくことなのです。可能性とは、ルートが分岐しつつ、その行く先がわかった一本道などではなく、つねに、動的に変化していく全体でしかないのではないでしょうか。(p.30)

 そのように磯野の問いによって宮野の思考が導かれることもあれば、磯野が無意識に使った言葉遣いに宮野が敏感に反応する場面もある。「ところで、私は不幸なのでしょうか」と。そして、「制限があっても、不運に見舞われていても、自分の人生を手放していないという意味で私は不幸ではありません」「不運という理不尽を受け入れた先で自分の人生が固定されていくとき、不幸という物語が始まるような気がするのです」と、言葉を紡いでいく。

 けれども磯野はまたそれに対し、問いかける。宮野の語りのうちに、他人を自分の物語に巻き込む、あるいは他人が作った物語に巻き込まれていくことへの抵抗感を読み取り、ゆさぶりをかけていく。宮野は、「当たり前のことながら、不運に怒り、学問の言葉で不幸に立ち向かおうとする哲学者宮野の裏側には、ぐずぐずと泣きながら文句を言う宮野がいます」と、そのゆさぶりに応じていく。

 書簡の交換が続く中で、宮野の具合は、さらに急速に悪くなっていく。その宮野に語りかける言葉に詰まるようになったことに気づいている磯野は、そのことを記した上で、こう語る。

「宮野さんにいまいちど解放してほしい言葉、共有してほしい未来があるのです。それは端的に言って、死についてです」

 そして、「宮野にしか紡げない言葉を記し、それが世界にどう届いたかを見届けるまで、絶対に死ぬんじゃねーぞ」と磯野は宮野に語りかける。それが第7便の往復書簡。そこからさらに二人は、踏み込んだ言葉を紡ぎ合うようになる。

 宮野は生前、みずからの病状の深刻さを、ごく限られた人にしか語っていなかったそうだ。それは、病が他者を巻き込むものであることからくる躊躇によるものだろう。けれども宮野は、磯野の問いかけには答え続けた。そうして磯野をより深く巻き込んでいった。その先で、宮野は磯野にこう語る。

 たしかに、私は自分が他人の物語に巻き込まれたり、自分の物語に他者を巻き込んだりすることを嫌っていますし、それを怖れます。でも、それは「一方的に」巻き込む/巻き込まれることへの拒否であって、自己と他者が出会い、その出会いから、それぞれが自らの物語をどう立ち上げていくのか、そこからどんなふうに各自がラインを引いてゆくのか、それこそが大事であり、その立ち上がりが見たいのだと強く願っています。
 なぜなら、そうやって引かれたラインにつながると感じられたとき、私たちは生きていく力を受け取ることができると感じるからです。(p.220-221)

 磯野は「“逆張りの問い”と信頼」(2019年9月19日)の中で、こう語っている。

この本は、宮野さんが死について哲学した本だと思っている方がいるようです。確かにそれも一つのテーマではありますが、『急に具合が悪くなる』の主題はそこにはありません。
この本の主題は「他者とともに生きること」にあり、それは出逢いの中の偶然を論じ続けてきた宮野哲学の本丸に根ざしていました。そして私たちの間に培われた信頼は、宮野さんが文字通り最後の全力を投じた、書簡10便につながる楔石となったのです。

 出会いを引き受け、「共に踏み跡を刻んで生きることを覚悟する勇気」を発揮して向き合うなかで、新しい「始まり」が生まれてくる、そのことを記した本書を、あなたはどう受け取ってくれたか、それを語ってほしい――それが、「口をつぐまないでほしい」という磯野の、読者に対する問いかけであったと思う。

 宮野に問いかけ続けたように、磯野は読者にも踏み込んで問いかける。「皆さんは、この本において非当事者でしょうか?」と。そして、「この本を読んだら何か語ってほしいのです」と待ち構える。裏表紙のライオンのように、ミットを構えて。