囲碁と大局観

細く長く囲碁をやっている。周りに囲碁をやる人がいないので基本的にアプリでCPUと対戦している。電車に乗っている時や隙間時間にちょっとプレイしている。
CPU15級から始めて13級で一度停滞。半年くらいかけてやっと勝てるようになった。それからまた9級で停滞。やはり半年くらいかけてやっと勝てるようになった。いまは7級を相手に日々精進している。

きっとぼくには囲碁のセンスは無いのだけどこうやって地道にレベルアップしていく感覚が好きでやめられない。

半年くらい勝てない相手にある日突然勝てるようになる。すごく不思議な感覚。それは決まって大局観をつかめるようになった時。アテられた局地線にフォーカスするのではなく盤面全体を見る感覚。肉を切らせて骨を断つ作戦。これができた時に面白いように勝てるようになる。

じゃあずっと大局観見てればいいじゃん、というとそれは違う。CPUが打ってくる局地線がキツすぎてそこにフォーカスしてしまうのだ。ある程度局地線の耐性ができてないと大局観を持てないのだ。

なんか人生みたいだな。目先の苦しみに耐性がついて急に達観したもう一人の自分が現れる。全体が見渡せるようになると急に苦しみから解放される。そんな感じ。

今日も子どもたちが言うことを聞かず朝ごはんや着替えが遅くなってイライラしたけど。達観して「子どもたちとコミュニケーションを取れるわずかな時間」と考えれば幸せいっぱい。

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