「J」という設定
よくマンガやアニメの最終回などで「正体がバレるとみんなの記憶から消されてしまうけど、みんなを救うために、やむなく正体をバラさざるをえない」という主人公の設定があります。
その結果、みんなは救われるものの、みんなの中にある主人公の記憶は消されてしまっているので、みんなが街で主人公とすれ違っても、誰も気づくことがなく、「これで良かったんだ」と独り、主人公が雑踏へ消えていったりします。
「死」とは、肉体はなくなるものの、生前に関係のあった方々の記憶には残っているという状態で、この主人公の設定は、まさにその逆なワケです。この設定を仮に「J」と名付けましょう。
子どもながらになんとなく「『J』は辛いなぁ」と思っていたということは、「J」も「死」と同じくらい辛いと、我々は潜在的に感じているということなのでしょう。
人々から忘れられるというのは、肉体的には生きながらにして「死」に近い苦痛を味わう…もし本当にそうなのだとすれば、誰かの孤独の辛さについても、少しだけ心を砕いてあげることができるような気がします。
今更ながらに、この「J」という設定を発明した人、スゴいなぁと思います。ちなみに、なぜこの設定の名を仮に「J」にしたかというと、「死(し)」の反対だから…みたいな。
まつりぺきん 雑文 随筆
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