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およそ成功しないコミュニティ

自分以外は他人であり、何を考えているかは分からない。表層部分だけの付き合いなら尚更だ。
それゆえにコミュニティを作って生きていかざるを得ない。
ここが上手くいかないと多大なストレスを受ける。どうでもいい、とは割り切れず、どうでもいいことに巻き込まれてしまって困っているし巻き込んできた人間のことは許さないし怒っている。
差し違えても、とすら思う。ネイルハンマーを買った。


信頼関係ができていない状態で、人の話を聞かないくせに意見ばかり求めてくる輩のことを「なめてんのか」と思いながら、こちらもなめた目で見ている。
社会は代謝を繰り返すため、コミュニケーションの速度は止まらない。自分だけが立ち止まっている。

私たちは無意識的に見たいものを見るようにできている。誰かが選んだものをあたかも自分が選んだかのようにふるまう。
そのことを、私は愚かだと思っていた。
どの口で何を言うんだろう。そうだよ。触れる物事はすべて何かに影響を受けている。そんなことすら知らなかった。
どこまでが愚かか、その尺度を己で測れるか?

陽のあたる場所ですこやかに過ごしていたら、こんな気持ちはわからないのかもしれない。
私は自分のことを弱者、もしくはいつでもそうなり得るのだと思い続けている。
場所はどこでもいい。社会的にだろうが個人的にだろうが。私は今のところ、おおよそ前者が圧倒的に大きい。
そして残念ながら、それは悲しいことでもつらいことでもなくなってしまった。
思考には価値があると信じているので、経験則だけで話をする輩のことを頭の中でちりちり燃やしている。

いつか穏やかに死ぬために生活を積み重ねている。
積み重ねていた?
その生活というのは、なんなんだ?


私とあなたとおまえとあいつとだれかが等価値ではないことを、知らないままではいられない。
あなたにとって価値のあるものは誰かにとって価値がない。
誰かにとって価値のあるものはあなたにとって価値がない。

そして、ある、とも言える。
見え方が違うだけだ。そこにはどう捉えたいのかしかない。

効率だけを考えるのであれば感情は不必要だが、それを奪うと個として終わる。
終わるかあ。終わるんだな。しゃあなし。そういう日が、形はどうあれいつか来る。

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