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さようならを使う機会がない

「さようなら」という言葉を使うことがない。
「ばいばい」「またね」「じゃあね」。無意識に出るのは同義のふたつで、あえて選ばなければ「さようなら」は出さない。見栄えするので記すことはあるが、少なくとも口語的ではないような気がして口には出すことがない。

思い返すに、小学生のときは帰りの会で「せんせいさようなら」と言っていた。
普段使わない言い回しを声を揃わせて挨拶させる。あれは言っていたのではなく言わされていた。しかし無理強いさせられているだなんて思ってもいないため、なんの疑問も抱かなかった。
「さようなら」は別れの挨拶として適切な言葉のひとつで非日常的ではないように思えるが、この単語を日々使おうとすると違和感が生じる。つるんと出てこないのでこれは私がひらく言葉ではないのだと思う。

さようなら。もう今後会えないみたいな言葉だ。
おそらく会うことのない人間に対する心にもない「お元気で」は何度か言った。
「また今度」は今後約束がないとき、または去り際に場を濁すときに使った。「次いつ会う?」を付ければ相手次第で機会を設けられる。
自主的に発する言葉に「さようなら」を選ばない。選ぶ場を詩的表現でしか思いつかない。

さようなら、さようなら、ねえ。
もう会うことのない人間なんてたくさんいるだろうに、これから言うこともないんだろう。
おしまいのときにでも言おうか。

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