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大学を飛び級して海外大学院に行こう。っていう選択肢。

「あの選択をしたから」っていうテーマだけど、「いまの選択」について少し書いてみたいと思います。

まずは簡単な自己紹介をしますね。
22歳の大学院生です。愛に溢れる家族のもとに生まれ、毎日習い事に通う小学時代を過ごし、申し分ない中学時代を経験して、高校では陸上競技に専念して、大学に入学しました。コロナ禍の大学生活のおかげで大学を3年で卒業し、シドニーの大学院に来ています。

この記事では、なぜ僕が大学を早期卒業することにしたのか、そしてなぜ異国の地で大学院に進学したのかをつづりたいと思います。


コロナのおかげ:大学1年生

2020年4月、日本中がコロナウイルスに翻弄されている時期に大学に入学しました。すべての授業がオンラインで実施され、実家を離れる予定が9月まで延期されました。
実家での生活が続き、勉強することぐらいしかやることがなく、毎日朝から晩まで机に向かう日々。
コロナにかかりたくもないから「自粛」という名目で自宅の敷地から4カ月一歩も外に出ませんでした。(今思うと軽めの引きこもりですね。)

受験期間よりも勉強したのではないかというぐらいの勉強を積み重ねたおかげで、大学での初めての成績は抜群によかったのでした。

そして、これが過剰な自信を引き起こしたのです。

自信過剰:大学2年生前半

振り返ると、大学2年生の1年間はターニングポイントでした。
大学1年目の後期も成績を維持することができ、肩で風を切るがごとく大学2年生に進級しました。
このころ僕の大学での交友関係は両手で数えられる程度。
一応、世間的に名のあるW大学に在籍しており、そこで良い成績をとることができていたため、自分は若干特殊(変人)なんだろうと思い込み始めていました。だから交友関係が広くなくても問題ないと。

さらには、対面授業が再開されるようになり、あれっ、この大学ってそんなにレベル高くないの?とも思い始める始末。
もはや天狗どころか象並みの鼻の長さですね。

そんなとき、大学を3年で卒業できる制度があることを知りました。
(正確には入学前に知っていましたが、思い出すことになります。)
その制度は学部を3年で卒業し、同大学の修士課程を1年で修了し、博士課程を2年で修了することを可能にする魔法のような制度です。

これを見た僕は迷わず、コレだ、と思いました。
低レベルな学部なんかで4年も使うのはもったいない、それに博士号が最短6年で獲れるなんて魅力的過ぎると。

ありがたいことに当時のゼミの教授とはよくさせてもらっていたため推薦状を書いていただき、無事にレールに乗ることができました。

さぁ、あとは成績取りまくって卒業しようと息巻いていたのですが…

新たな世界へ:大学2年生後半

2021年の9月から大学の寮で学生の生活をサポートする役割を担うことになりました。
もともと、その寮の住人であり、さすがにどのコミュニティにも属さないのはまずいだろうと思ったのがきっかけです。
寮は国際学生寮で、留学生も一定数いるし、海外在住経験のある日本人学生も相当数いる環境でした。寮生をまとめる立場になってから、海外経験のある人たちと関わる時間が増大し、少しずつ海外っていいな、と何かが芽生えました。

さらに、ゼミの教授がサバティカルから帰国して、英語でゼミをやってみようとのこと。僕のゼミは当時2人しかおらず、ほぼ毎週90分英語をしゃべることになるのでした。加えて、ゼミの教材も海外研究者が書いた論文から選ばれていたため、もはや外国状態。

そんな時、教授が、日本の研究のほとんどが海外からの輸入品だ、と衝撃的なことを発しました(誤解がないように、輸入される段階でブラッシュアップされてます)。
この言葉を鵜呑みにした大天狗の僕は、この大学の大学院に行っても仕方ないんだ、と変換し海外の大学院しか見えなくなりました。(お前しか見えてないと言ってお前も見えてないみたいな状態でしたが。)

そして海外の大学院を受ける決心をし(決心したというよりそれ以外見えてないから…)、IELTSや推薦状を書いてもらう手はずを整えるのでした。

大学院に何を求めるか:大学3年生

少々頑固な部分がありますから、海外大学院に絶対に行くんだと息巻いて、進学先探しが始まります。
一般的な大学院進学と異なる点は、学部時代の専攻と大学院での専攻が変わる点です。僕の学部は経済学部でしたが、大学院では不動産に関わる分野を学びたいと思い、不動産関連の学部を持つ大学院を探しました。

アメリカ、イギリス、オーストラリア、ドイツ、スウェーデンなど多くの国に候補となる大学院がありましたが、僕の選択基準は以下の3つでした。
 ①世界大学ランキング150位以内
 ②語学試験以外を必要としない
 ③コースの標準期間が1年半以内

この基準に合う大学を探すと、おおかたイギリスとオーストラリアに絞られます。
①については、世界大学ランキングはものさしでしかありませんが、誰かに自分がやっていることを説明するときにランキングで説明する方が分かり易いと思ったから。
②は僕の考えとして、最低限の努力で最大限の結果を出す、というものを持っていたため、順位の近い大学があってSATなど試験を必要とするところと求められないところがあるならば、迷わず必要ない方を選ぶことが効率的と思ったから。
③はコースが2年の場合、修了後に就職をすると考えると26卒扱いになるため、2年間の遅れでは学部を3年で卒業したメリットを生かせないと思ったから。

こんな感じで探すと6つ程度に絞れました。
そして候補の大学全てに出願して、ありがたいことに全ての大学から合格通知をもらうことができました。

最終的には現在の大学院に決めましたが、その理由は次のパートにて。

何でいまの大学院なのか:現在

今はシドニー工科大学というところにいます。
世界ランキングは90位、語学以外の試験不要、コースは1年半で修了、と全ての要件を満たしています。
ちなみに、出願した大学の中では一番ランキングが低い大学院です。

この大学院にひかれた理由は複数ありますが、一番はそのコースの特徴です。
僕は「不動産開発学修士号」を取得できるコースに在籍しています。
この大学自体は設立50年以内の若い大学であり、実践で学ぶことに主眼を置いている総合大学です。
僕はこれまでバイトを含め働いたことがありません(胸を張って言うことではないですが)。
そのため、働くって何だろう?社会に出て通用する力って何だろう?と考えたときに終始座学のコースよりも、産業と関連するコースの方が魅力的に映りました。

授業が始まって課題をこなす日々ですが、周りの学生の90%は社会人学生でついていけないこともあります。でも、他の大学に行ったらと考えると、社会の仕組みを何も知らずに過ごすことになっていそうで、想像するだけで寒気がします。

まとめてみると

これからも不透明なことばかりですが、今言えることは、自信過剰になったおかげで今があるということです。
かなり偏った考えでここに至っていますが、各ポイントで何が選択肢として考えられるのか、その選択肢の結果として何が見えるのかを考えてきたつもりです。

たぶん大学2年のときに自信過剰にならず、今と違う道を歩いていても上手く行っていたでしょう(ん?自信過剰?)。
なぜか?それは常に選択肢を用意していたからです。
目標に到達するために考えられるすべてのプランを書き出して、どのプランに進むか、Yes/Noの分岐を作成し、どちらに進んでも必ず目標が達成されるよう分岐ののちの分岐を作り、さらにその先の分岐を作って何十ものプランがいつでも選択可能な状態です。

僕の母方の祖父がよくこう言います。
「どうせ最高なんて無理なんだから、不確実な人生なんてあれこれ考えず、流れに任せなさい」

そして、その娘である母はこう言います。
「人生の進む方向に困ったときに選択肢がないと自分の意志による決定ができない」

そんな2人の教えをうまいこと組み合わせて今の僕の選択におけるスタンスが確立されつつあるのかなと、この記事を書いて思わされました。

実際にどうなるかなんてわからないです。
それでも、自分の選択肢に自信をもっていることが大事なんだろうなと思います。

この記事はAndre RieuとBondのコラボしている動画を聞きながら(たまに見ながら)書いているため、若干支離滅裂かもしれません。

最後に、この記事を書いて考えが洗練されたというよりも、本当にそうだったかなと疑問に思う部分を新たに見つけることができました。どうしてそうなったのかとか、質問あればいつでも受け付けております。

#あの選択をしたから

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