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荒川洋治論②-彼の修辞とは何か?②-

2012-12-19 19:58:06
テーマ:評論・詩・荒川洋治
Ⅰ.荒川洋治氏の修辞とは何か。

前回「荒川洋治論①-彼の修辞とは何か?①-」で、「荒川洋治氏について言われる修辞的現在」」という表題で、下のように書いた。

・・・・・・・・・野村喜和夫氏は、荒川洋治氏『水駅』を例として詩の通俗化についてこう書いた。

「荒川洋治は戦後の生まれであり、もちろん戦争は知りません。だから、『国境』も『復員』もフィクショナルなものにすぎず、戦後詩の第一世代がもちえたような体験的リアリティとは無縁です。いうなれば、『うつくしい言葉』として、たとえば『二色の果皮』や『錆びる水』と同一の水準にあるにすぎません。このような表現行為の事態をさして、批評家の吉本隆明は『修辞的現在』と名づけ、その荒川を『若い現代詩の暗喩の意味を変えた最初の、最大の詩人』とまで言挙げしました。」

私には、荒川氏に対する評価の高さに野村氏が感覚的に間違って書いてしまったと思う。というのは、吉本隆明氏の『修辞的現在』いう名づけ、荒川洋治氏を『若い現代詩の暗喩の意味を変えた最初の、最大の詩人』というのは、技法としてめだったからであり、早かったからである。その技法は、その後多くの詩人が、そうとは知らずに行っているし、昔からそういう詩人もいた。・・・・・・・・

そして、わたしは村野四郎の『体操』をひとつの例として挙げた。

そのあと、わたしの頭を去らない疑問がひとつある。それは、荒川洋治氏の詩の、下の各表現は何がすぐれているのか、これまでの表現と違うのか、どうしてひとは「新しい!!」と感じたか??という疑問である。

「しろい批評がある」(『ソフィア補塡』)

「風は風を超え
ひとは類をのみほし」(『タシュケント昂情』)

「国境、この美しいことばにみとれて、いつも双つの国はうまれた。・・・」
(『水駅』)

「世代の興奮は去った。ランベルト正積方位図法のなかでわたしは興奮する。」(『楽章』)

「いまわたしは、埼玉銀行新宿支店の白金のひかりをついてあるいている。ビルの破音。消えやすいその飛沫。口語の時代はさむい。葉陰のあのぬくもりを尾けてひとたび、打ちいでてみようか見附に。」(『見附のみどりに』)

これらの有名な、そして荒川洋治氏を35年前に一気に有名にした詩句は、どういう意味を日本の詩の歴史に持っているのだろう。そのことがわたしにとってはずっと大きい疑問なのである。それは、詩とは何だろうということと関わってくるからである。

初めに引用した、野村喜和夫氏の言葉と引用されている吉本隆明氏の言葉は、荒川洋治氏の詩についてこう書いている。

①野村喜和夫氏の言葉・・・フィクショナルなものにすぎない。「うつくして言葉」として使われており、体験的リアリティーがない。

「荒川洋治は戦後の生まれであり、もちろん戦争は知りません。だから、『国境』も『復員』もフィクショナルなものにすぎず、戦後詩の第一世代がもちえたような体験的リアリティとは無縁です。いうなれば、『うつくしい言葉』として、たとえば『二色の果皮』や『錆びる水』と同一の水準にあるにすぎません。・・・・」

②吉本隆明氏の言葉・・・・修辞的現在と評価し、荒川洋治氏を『若い現代詩の暗喩の意味を変えた最初の、最大の詩人』と評価。

それに対して、野村喜和夫氏は、「このような表現行為の事態をさして、批評家の吉本隆明は『修辞的現在』と名づけ、その荒川を『若い現代詩の暗喩の意味を変えた最初の、最大の詩人』とまで言挙げしました。」と書いた。

③野村喜和夫氏の言葉・・・・・これら(荒川洋治氏の詩)は「通俗化」である。

さて、上の三点について、①と③については、「野村喜和夫氏『現代詩作マニュアル』について」で書いたので、それを読んで欲しい。
http://ameblo.jp/pololitomono/entry-11408965021.html

②の「修辞的現在」という現代詩への評価と、「若い現代詩の暗喩の意味を変えた最初の、最大の詩人」という荒川洋治氏への評価を考えてみたい。

Ⅱ,修辞的現在という現代詩への評価について

詩の言葉が修辞的になっているのは、その前から起っていた。暗喩、メタファヘーの使用方法と言ういう意味では、野村喜和夫氏が後継していこうと考える吉岡実氏の作品は暗喩の連続である。

「それぞれはかさなったままの姿勢で/眠りへ/ひとつの諧調へ/大いなる音楽へと沿うてゆく・・・・」(『静物』)

「ぼくらの眼は金の重みを持たぬ/記憶すべきは太陽」(『静物』)

「ぼくは冷静に法典の黄金文体をよむ」(『感傷』)

「宗教の方眼紙の彼方へ/ばらまかれるレンゲの花」(『孤独なオートバイ』)

「母のうちなる柱/その毛の描写できない六拍子」(『静かな家』)

吉岡実氏の他に比較のために古い詩から引用したい。

「変化する詩集に頭を載せる少年を呼吸する。・・・」(『ETAMINES NARRATIVES』滝口修造)

「軍国はやがてこの一本の傷跡を擦りへらしながら腕を延ばすのである。/没落へ」(『壊滅の鉄道』北川冬彦)

「一篇の詩が生れるためには、われわれは殺されなければならない・・・」
(『四千の日と夜』田村隆一)

たくさん引用をした。これらから分かるのは、現代詩は、戦前から暗喩を使用し、戦後詩人の作品は暗喩で成り立っているといってもよい。この暗喩という範疇に、本歌取りも入れるなら新古今和歌集時代からあり、枕詞まで考えるなら万葉集から存在する。日本の詩は暗喩を当たり前に使用してきたと言える。それを意識的に使い始めたのは、戦前のモダニスム・シュールレアリスムかもしれない。そういう意味では、現代詩は修辞的であるというのは、現代詩が良くも悪くも修辞によって成り立っているという事実である。

Ⅲ.荒川洋治氏の暗喩について

それでは、吉本隆明氏の荒川洋治氏に対する「若い現代詩の暗喩の意味を変えた最初の、最大の詩人」という評価は、何にたいするものか。わたしは、荒川洋治氏の暗喩・メタファーの使い方が特別でなく、別なところに特別な、多分意識的な仕掛けをしている点だと思っている。
それは、詩の語り手と詩の世界の距離である。上に引用した荒川洋治氏以外の詩人の暗喩の場合、暗喩によって作られた虚構の世界(詩の世界)に、語り手も入り込んでいる。語り手は、暗喩の世界で、喩の言葉で語っている。

しかし、荒川洋治氏の暗喩では、一度詩の虚構の世界に入っても、語り手である「私」は常に詩のこちら側、書き手の側に戻ってきているのである。すると、視点が、詩の世界から離れているために、自由な「私」としての軽さを表現した言葉を使うことができる。

例えば、上の引用した詩句を、荒川洋治風に変えるとこうなる。

「それぞれはかさなったままの姿勢で/眠りへ/ひとつの諧調へ/大いなる音楽へと沿うてゆく/わたしはそれらが戻ってくることを期待しない・・・・」(『静物』)

「ぼくらの眼は金の重みを持っていない/だから太陽を記憶するのだ」(『静物』)

「法典の黄金文体は読むとこなごなになる」(『感傷』)

「宗教の方眼紙の彼方へ/レンゲの花をばらまく」(『孤独なオートバイ』)

「母のうちなる柱/その毛を六拍子で抜き取る」(『静かな家』)

「変化する詩集に頭を載せる。少年が見える。・・・」(『ETAMINES NARRATIVES』滝口修造)

「軍国はやがて腕を延ばすのである。/没落へと擦りへらしながら」(『壊滅の鉄道』北川冬彦)

「一篇の詩が生れるためには、ひとが殺されなければならない時代があった・・・」
(『四千の日と夜』田村隆一)

荒川洋治氏の語り手「私」は、いつも暗喩のつくる詩の虚構の世界の外にいる。『娼婦論』『水駅』の「私」は、遠く離れた土地で地図を見ながら想像している。そこで語られる言葉が、「方法の午後、ひとは、視えるものを視ることはできない」であり、「国境、この美しいことばに見とれて、いつも双つの国はうまれた。・・・」であり、「口語の時代はさむい」である。

荒川洋治氏にとって、暗喩は方法であった。作品に読者を引き込むための、あるいは、詩の世界へ人々を引き込むための意識的な方法であったと思う。詩に必要なのは「技術」であると言いきった(これにも彼一流の意識した考えがあると思うが)荒川洋治氏は、暗喩の世界に入り込まずに、語り手として距離を置きつつ、作品を心地よいものに仕上げる事を第一の目標にした。それが『娼婦論』『水駅』である。ある意味では、彼の詩の世界への登場の仕方を彼は自身で演出したのだろうと思う。

それが演出であるので「修辞的な」究極を目指す作品に思えたし、それまで、同じような暗喩を使っていた詩人たちが立ちえない視点、作品の外で読者と同じ視点で作品を視る、書くことが可能になったのだろうと思う。

Ⅳ.その後の荒川洋治氏の修辞について

荒川洋治氏は、詩の世界の外に立つ暗喩の使い方で詩を新しい衣装にした。しかし、そのために、それまでの詩人たちが、詩の世界に入り埋まることで手にしていた特別なものを失ったともいえる。失うというのが言い過ぎならば、希薄になったものがあるだろうと思う。

それが、魂の満足である。詩人の魂は、言葉の世界と一体化することを欲望する。詩がどんなに個人的な世界になり、普遍性を失ったり、美しさを失っても、その要望は詩を書く詩人には基本的にあると思う。詩とセックスして、詩を自分個人のものにしたいと要望である。

その埋め合わせ、語り手「私」が詩の世界に入らないためにアンバランスになる作者の虚構と現実のバランスを取るための作品が、荒川洋治氏では、『倫理社会は夢の色』だと思う。その前の『遣唐』と『針原』は、現実を少しずつ文字にする変化の過程だろう。

「水駅」の9年後、荒川洋治は下の詩を含む『倫理社会は夢の色』を発表した。
「オリエントの、/銀座の、それも、/暗い道をひろって歩いていたら いきなり/行き止まりにぶつかり息が止まったので/彼女を抱きよせ/網にかけ スカートをたくし上げて/指を入れ お尻のあなにさわった/彼女は意外なことに/このぼくの狂暴に/体をくっつけてきた。
あれでよかったと思う?/と/ユタカにたずねると/(おまえはほんとにスケベエだなあ/・・・・・・・・(略)・・・・・・・・」(『オリエントの道』荒川洋治)

「アパートに/六階/なんてあるのか/アパートって/五階までをいうんでしょ/六階より高いと/マンションでしょう/うん、そうだけど/わたしのところは/アパートの六階なの/六階のアパートでは/なくて/アパートの六階/なの/と/N子/いいはる/・・・・・・・・・恋人のおしりを見ていると/かわいそうになって/大丈夫だ心配するな と/でも片目で/パンチラ見ながら/ついていく/にしても/彼女/アパート/なんだなあ/アパートにしんから ほれているんだなあ/と思うと不びんで/もうあそこにゆびも入れ手も入れての/知り尽くした深い森の仲間なのに/けものは今日/ハイヒールをはいている/六階までは/ことだろう」(『森』)

「けものは今日/ハイヒールをはいている/六階までは/ことだろう」の四行は、彼の詩の構造の基本、記憶に残る終わり方である。しかし、以前なら、ここに美しい言葉を入れ、もっと読者の記憶に残るようにしただろうと思う。たとえば、「けものは今日/真っ赤なハイヒールをはいている/擦り傷ができても/ストッキングをおろす前に/赤いハイヒールをわたしにとらせたいのだ」・・・・とか。

私は、これらの作品を、『娼婦論』『水駅』から、作者の肉感へ戻る過程だと思うし、作者の内側にある、言葉との強い結びつき、男女の交尾のような結びつきへの欲望の表れだと思っている。詩人は、こう書いている。「そもそも男が一遍の詩をつくるということは、自分のなかに女性的なものをつくりあげるという行為に他ならない。」(『詩は女であらねばならない』)・・・そう、そして、詩人は自分の作品と交尾したいという変態性をもっていると思う。『水駅』では、あまりに美しい喩の世界を作るために、その変態性、詩人の作品と同化したいという欲望を抑えていた。『倫理社会は夢の色』は、バランスをとるために、その欲望を解放し、言葉を扱う知性と感性に作者、あるいは創造者としての満足を与えたのだろうと思う。

そして、『ヒロイン』はまた、荒川洋治氏の試みだと思う。それは次回に触れる。

「修辞的現在」とは、全ての詩人が入り込んでしまった、豊かで、食べれて、メッセージ性のない詩を書け、そして、作者の心を露わにせずに生きていける時代のことだろう。また、生活と関係なく詩を作品として距離をおいて見ていることが可能になった時代のことだろう。

昔、詩人は恋文や便りを詩で書いた。その後、本歌取り、枕詞等の修辞が用いられるようになり、俗用が現れ、言葉の遊びが拡がった。新体詩以後も、生きる力を得るために書く詩人と修辞の世界を創る詩人がいた。しかし、いづれも、自分の肉体の存在、感性と修辞の言葉の距離に不安定を感じていたと思う。

しかし、荒川洋治氏は、修辞は修辞として道具として使った。芸術からデザインに変わるように、言葉の意味よりも美しさを利用した。それが、彼のスタートであり、彼の最初の信念だったのだろうと思う・・・・・言葉は技術、修辞の問題だと。しかし、肉体と精神を持つ人間である詩人は、虚構の世界に満足できない。それが、それ以後の彼の変化であり、『倫理社会は夢の色』に来て、彼の中で言葉はバランスをとったように思う。

彼以後、多くの詩人が、詩の言葉に距離をおきつつ、独立した空間と倫理と美意識でできている作品を書いているようだ。それらの詩人たちが、これから、どのような詩を書いていくのか、気になる。美しく完成された作品が喜ばれる時代、私は、新古今和歌集の時代や、立原道造の時代を思い出す。

(2012.12.13)

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