歩く時は右左と交互に脚を進める、両脚もしくは片脚の自由を失っていない限りである。わたしは車椅子を押して過ごした期間があるが、その時の方が安定していた、歩き方も精神的にも。車椅子の彼は全く違っただろう。迫ってくる死を見つめていたはずだ、死が近づいてくる難病で治ることは考えられない病気だった。
また、ある時は癌末期の女性と毎週会う期間があった。個室病室で、彼女の髪は全くなかったし、薬の副作用で苦しんでいることがあった。
今考えると、わたしは彼らのなにもわかってはいなかった、苦しんでいるということと絶望を味わっていること、そして死のあとの安らぎを待っていること。
その頃、わたしもいくつかの悩みで傾いていた。死ぬほどではないが、生きている時は悩みは小さいものでも重いと思う。
二十五年経ち、わたしはインターネットの星空を見て時間を過ごす時がある、難病の彼がイラクに飛んで行く緑色のミサイルを何時間も見ていたように。
また、わたしはベッドから右手を出して、誰かが触れるのを感じようとする夜がある。髪の毛を無くし死を感じていた彼女がわたしの手を握りしめたように。
還暦を過ぎてようやく生と死のバランスがとれたようだ。
急がず、慌てず、尻込みせず、座り込まず、一歩一歩進んでいく。後ろに価値あるものはない。すべて去ったか、そうでなければわたしが捨てた。それらをひとつの秤に載せ、片方にわたしの希望を載せる。すると釣り合うのだ。
重い過去と全く見えない未来が。そのバランスでわたしたちは生きていけるのかもと思う。
わたしが右肩を下げて傾いて歩くのは、まだ、過去が重いせいだろう。
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