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ナショナリズムを超えるために②愛国心

2018-04-28 07:45:46
テーマ:政治

前回、「国家は想像の、限られた想像の共同体である」というベネディクト・アンダーソンの考えと「国家は共同の幻想である」であり「国家は眼に視えない幻想である」という吉本隆明氏の考えを紹介した。

その幻想の共同体である国家を、わたしたちは、どうして愛するか? それが次の疑問である。

「・・・・国民は一つの共同体として想像される。なぜなら、国民の中にたとえ現実には不平等と搾取があるによよ、国民は、常に、水平的な深い同士愛として心に思い描かれるからである。そして結局のところ、この同胞愛の故に、過去二世紀にわたり、数千万、数百万の人々が、かくも限られた想像力の産物のために、殺し合い、あるいはむしろみずからすすんで死んでいったのである。」(『想像の共同体』ベネディクト・アンダーソン)

国家内で搾取され、不平等に扱われても、私たちは国家に帰属することを、生れた時に帰属した国家に帰属することを望む。そして、その帰属願望で、国家は国民を国のために、国の名前のためにスポーツでは戦い、最悪には戦争に参加することを受け入れる。それがわたしたちである。

もちろん、国籍をかえる人もいる。また、国内での迫害や命の危機から逃れるために亡命するひともいる。しかし、それは特別の事情による。そうでない限り、全国民ではないが、多くの国民が、その帰属意識の強さに合う愛国心を示す。そして、愛国心を示さない国民を責める、最悪の場合は法的に拘束することに賛成する。そして殺害することを良しとする。現在のチベット・新疆ウィグル地区で起きているのが、国家が要求する愛国心ー思想と行為での従属ーを示さない人々への同化・殺戮計画である。ドイツが過去にユダヤ人に対して行った民族殺戮の計画と同じ規模の計画である。

国民であること。日本では血統でみとめるので、日本人の子が日本人となる。ヨーロッパではドイツがそうである。フランス・アメリカでは、出生主義なので、国内で生れた子は国民になる権利をもつ。中国では血統でみとめるが、その上で国策への従属が要求される。しかし、国民が持つ愛国主義はさほど変わらない。通常は、である。

国家が、外部に敵対する時には、統一した行動を要求する。そして、それ「愛国心」と呼び、その要求に従わない者は非国民として、あるいは国家反逆者として社会から除かれる。

また、国家を分裂させる原因となる要素に民族がある。ユーゴスラビアが民族ごとに分裂した。また、ウクライナが現在分裂の危機である。

幻である国家は幻想である。しかし、その幻想が民族によって変更されるのである。ひとつの共同体として、民族の共同体を望むと考えてよい。それは、アンダーソンが言う「言語」の共同体とほぼ一致すると考えてよい。あくまで「ほぼ」である。

しかし、「なぜか」は分からない。それを次回から考える事にする。

(2014.03.09)

四年前に書いたが手は加えないことにした。

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