クリープハイプ

中学生くらいの時からバンドを聴き始め、小学生の時に何度か聴いた「憂、燦々」から少しずつ気になり聴き始めたバンド、クリープハイプ。ボーカルの独特な声や、歌詞に見え隠れどころか純度100%であらわれる人間臭さが僕をじわじわと虜にしてくれた。

尾崎世界観 - Vo/Gt.
最初は本当に彼の独特な声に惹かれて聴き始めた。荒々しくもあり、しかしどこか繊細で彼の言葉のひとつひとつが、身体に染み入るような不思議な感覚。自分自身あまりいい恋愛経験がなかったので、共感まではいかずとも葛藤がわからなくもない、と言った感じ。彼の書く歌詞で特に好きなのは

いつでもあなたのそばに居たいとか
同じキーホルダーをぶら下げて
離れていても心は近くだって思ってたいの
                                       "ボーイズENDガールズ"
いつもとおんなじ道を歩いて
いつもとおんなじ空を見る
同じキーホルダーをつけた鍵は
何から何までそっくりだった
                                                            "モノマネ"

である。(アンサーソングという文化がとても好き)

長谷川カオナシ - Ba.
彼も何曲か作詞・作曲を担当している。彼が作詞・作曲をした曲はメインボーカルが彼になり、いつもと違う感じのクリープハイプが楽しめるのだが、可愛い曲からやはり毒のある曲、ストーリー性の強い曲まで幅広く、どれもこれもクリープハイプというバンドの良さが際立っていてたまらない。彼の書いた歌詞で好きなのは

「なんちゃって」で済む冗談で
済まないから針千本だよ
アンダンテに棲む妖怪さん
すまないけどあんたが飲んでよ

大体最後はこうやって
ひらひら踊ればいいんでしょう
大体最後はこうやって
ハチの巣にされればいいんでしょう
                                                         "かえるの唄"
じゃあね 今日観た聴いたアレやコレ
じゃあね また二十四時間後にね
じゃあね 僕らだけの秘密だよ
じゃあね 寝る前の何よりも大好きな時間

ずっと夜の中に居たいよ
太陽は昇らず月が輝く
そんな夜の中に居たいよ
太陽早いよ もうちょっとこのままで居させてよ
                                                            "月の逆襲"
烏鳴く山の頂の広場
人々集まっては円くなって座る
風が吹き抜ける地平線を探す
一人居なくなったら かどわかしの噂

誰かが合図の笛を吹く 聴いたら宴の仕度する
円の真ん中にかかげられた生け贄
居なくなったやつによく似てる
                                                            "火まつり"

である。特に"月の逆襲"はもともと好きな子の好きなものを考えていた夜が好きだったのに、いつのまにか夜そのものを大好きになってしまう心情の変化がたまらない。これを長谷川カオナシの色気のある声で聴けるのだ。もう。もう。(語彙力)

小川幸慈 - Gt.
前述の2人とは変わって作詞・作曲には手を出していない(多分)。クリープハイプは音よりも歌詞に注目してしまうが、"エロ"のギターのフレーズにはいつもとんでもない爽やかさを感じる。爽やかな曲調から少しねっとりした歌詞。このギャップがまたたまらない。爽やかエロ曲(まんま)。

小泉拓 - Dr.
高校生のとき、わずかながらドラムをやっていたので何度かクリープハイプの曲を叩けるようになりたい、と思いいろいろ調べていたところ、どこかのサイトに「あまり難しいフレーズは使っていないが、彼の表現力がとてもすごいためコピーするには少し難易度高め」と書いていて、実際に叩いてみると素人の下手くそでもわかる同じフレーズなのに何か違う感じ。彼の叩くドラムでやはり好きなのは"手と手"。

クリープハイプの歌詞には、人を惹きつける人間臭さがある。好きな文章、好きな歌詞、好きな言葉をとても大事にしているのだが、クリープハイプの歌詞には大事にしたいものがたくさんある。前述の5曲もそうだがそれ以外にももっとたくさんのいい歌詞がある。初めて聴いた時からずっと好きな"二十九、三十"という曲の歌詞を紹介する。

いつかはきっと報われる
いつでもないいつかを待った
もういつでもいいから決めてよ
そうだよなだから「いつか」か

いつかはきっと報われる。その「いつか」は5分後かもしれないし、5日後かもしれないし、5年後かもしれないし、いつになっても来ないかもしれない。しかしその「いつか」を待つのが嫌になって「『いつでもいい』から決めてよ」と漏らしてしまう。『いつでもいい』から「いつか」なんだよな、と気づかされる主人公。

誰かがきっと見てるから
誰でもない誰かが言った
もうあんたでいいから見ててよ
そうだよなだから「誰か」か

誰かがきっと見てるから。本当に見てくれてるのだろうか。「誰か」なんて誰でもなくてそれでも誰かに見てて欲しかった主人公は「もうあんた『で』いいから見ててよ」誰でもいいような口ぶりに、だから「誰か」か。と気づく主人公。

あーなんかもう恥ずかしい位
いける様な気がしてる
ずっと誰にも言わなかったけど
今なら言える
明日の朝恥ずかしくなるいつものやつだとしても
ずっと今まで言えなかったけど
サビなら言える

自分の投げやりになったような言動に恥ずかしさを感じ、今ならいけるような気がする、今まで言えなかったことも言える、ここでサラッと言ってしまえばいいのに「明日の朝恥ずかしくなるいつものやつだとしても」なんて御託を並べて、「サビなら言える」の歌詞でサビが終わってしまう。

いくつになってもモヤモヤすることはあるし、だからといってちゃんとしなくちゃいけないわけではない。この曲を聴いていると、弱いままでも許されるような気がする。弱いままでも大事なものと向き合って、一歩一歩と規則的でなくても、少しずつと言わずいけそうなときはいけるだけ、難しいときは一歩だけでも大事なものに歩み寄ることができればそれで良いんだと思わされる曲。「不規則な生活リズムで」、この歌詞はそういうことなんだと思う。

クリープハイプの曲に随分と救われている。あなたも何かを見失いそうになったときは"二十九、三十"を聴いてみてはいかがだろうか。あなたの背中を押す曲の一つになりますように。クリープハイプの歌詞が世間様に届きますように。