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出雲大神宮

昨日、軽い気持ちで「明日人生大好転する場所へ行く。どこかはっきり分かりやすく教えてくれ」って心の中で言ってほっといてみた

なんとなーくYouTubeをザッピングしていると、「出雲大神宮」の映像が飛び込んできた
出雲の名前がつくから島根だろう、無理無理wって思ってると京都の亀岡だった

まあ行けんことはないわな
とダラダラしながら、今度は「本当に出雲大神宮に行くなら8時までに起こしてくれ。行く必要がないなら10時半でよろしく。目覚ましはかけないから」
と2時くらいに寝たわけだけど、隣家の目覚ましで起きてみたら、ジャスト8時っていう

そこからなんもせずに用意して出ていき、駅へ向かえば2、3分ほどで電車がくる
途中の乗り換えもスムーズ
行きはバスを待ってると1時間ほどかかるので歩いても大差ないと判断してJR千代川駅から徒歩
平日の昼間だからか人の往来がほぼない
道路の測定してる人たちとか、自転車のご老人くらいだった
神社の手前はほぼ田んぼで、水張ってるところが太陽の光に反射してキラキラしてた
自然ていいなーと思いつつ、こういうところはやっぱ私は観光だけの方がいいかも…
サムネイルの山だけど、後ろだけ妙に立体感がなくてアニメみたいで笑っちゃった
多分そこいらが御神体なんだろうね

出雲大神宮に着くと、落ち着いた空気で気持ちよかった
なでうさぎなでたり、本殿でご挨拶しようとしたらご祈祷の祝詞が聞こえてきたり
奈良の天河神社に行った時も祈祷受けてる人を目撃した
色んな社殿を周って磐座も見て満足
帰りはバスに乗ろうとバスを待ってると3分遅れでやってきた
タイミング良すぎて笑った

嵐山まで戻ってきたところ、なんとなくリラックマ茶房に寄ってみたくなった
1時間強待ったけど、落ち着いたシンプルな内装でよかった
お菓子付きのお抹茶を頼んでホッと一息
税込495円で、なかなかお得

嵐山は出雲大神宮とは違って人混みできつかった
修学旅行生と外国人旅行者でひしめいていた
嵐山にオフシーズンなんてあるんやろか?などと考えてしまう
そのまま電車に乗って帰宅したわけだけど、帰りもスムーズに電車に乗れて目標時間より少し早く家に着けた
トントン拍子に行く時ってやっぱ気持ちいいな〜と思えるようになった

※旅する前に思いついたこと※
お金なんて結局、「ある」も「ない」も自分の中で生み出していただけなのである
その内側の上層にある信念やら思いこみとやらに、現実っていうドラマのデータを出力させて放映してネガティブなりポジティブなりの感情をドラマ別かつその信念に基づいて選択されている…ように感じた
例えば
自分の世界で、ドラマ「借金」が放送されたとする
借金というワードで今まで世界から集めてきた信念や思い込みから感情を検索され、それを放っている
だから借金しても楽観的な人もいれば、借金をしたことを悪だと憎み己や他者を恨む人もいるのではないだろうか
しかし、自分の世界は常に変化している
無常ともいう
この「借金」に対して感情というのはいくらでも変えられる
それは今この瞬間からでも変えられる
ということは、同じ感情や信念・思い込みを保持したままだと同じドラマが役者と背景を変えて放送されることとなる
ゆえにメソッドとしてアファメーションやイメージング、ジャーナリングやブレインダンプといった紙に書いて発散する方法やら楽しいことをするなり自愛やらがあげられている

引き寄せで気をつけるなら、自分が自分にどんな言葉をかけているのか(口癖込み)自分がいつもどんな感情でいるかをチェックしておくとトラブったりしても淡々と処理できるのかも…なんて考えた

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