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心理学と映像論で見る 映画『羅小黒戦記』②

はじめに

この記事は、中国のwebアニメ『羅小黒戦記』の映画についての記事です。
①の記事がありますので、詳しい説明は①を参照ください。

あいも変わらず、主役は風息です。
では、早速②の内容へ入りましょうね。


対立を表象する箇所

この物語で、無限と風息が対立しているということは序盤から何となくわかりますよね。
しかし序盤〜中盤の小黒にとっては、まだ風息か無限、どちらに付くべきなのか判断がついていません。

阿赫達と戦った電車の天井で、離島組が無限から小黒を取り戻しにやってきます……
そこで小黒は「対立を見せられる」。
後にその図に小黒が入ってきて、風息は小黒とも対立することになります。

注目したのは、その電車のシーンです。

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このシーンで、このように風息は電車の天井に降り立ち、「迎えに来たぞ」と無限と対立します。


このカットを映像論的に解釈しますと……
(やっと映像論要素が…!!)

人間がたくさん乗った電車の進行方向を向く無限と、進行方向から背を向ける風息の立ち位置から、人間達と生きていく(共存していく)ことに対して前向きか後ろ向きかという風に取れます。
さらに言えば、残りの離島組(気絶している阿赫達は除き)は進行方向、つまり前向きに向いています。

そもそも、風息が後ろ向きになったのも、無限にお腹を蹴られているからであって、風息も元々は真正面から奇襲をかけているわけではありません
(↓先ほどの画像のちょっと前のカットです)。

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無限は、人間の象徴的人物ですので、人間の行いに後ろを向かざるを得なくなったという解釈が、妥当でしょうか。

このシーンでは、両者の対立を明らかにするとともに、風息の意思表示なども窺えるということです。


ましてやその後、盗んだ力で線路を爆破して電車を事故らせているわけですから、
人間に合わせるスタイルを破壊するという意思も汲み取れます。

「人間に出て行って欲しい」というセリフに由来するというよりかは、共存が人間の主導権によっていくらでも妖精が淘汰されてしまえるという、アンバランス感を危惧している方がニュアンスは近いかな?
だってこのシーンでいえば、妖精の力でいくらでも人間を事故に遭わせることが出来るんですから、それでも人間を優先して生きていくべきなのかという問いかけにもなります。

このカットで、小黒は「無限と風息、どっちの味方をすればいいのかな?」というように、体が横を向いていますね。
自分に優しくしてくれた二人が対決をしているという図が、小黒を混乱させます。

風息の、無限と対立するというポジションは小黒にとっても重要ですが、
小黒目線の解釈の話は、もっと後に語ります。


これ以降の記事を読むにあたって、
・共存は果たして、人間と妖精が平等なものなのか(反語的なニュアンス)
の1点が、風息を理解するにあたって重要なポイントかなと思います。

②はこれで終了です…………が、
小黒の抱っこについてのオマケがあります。
良ければどうぞ。
ここまでの閲覧ありがとうございました。


オマケ

本編で小黒を抱っこするキャラは5名います。

無限、洛竹、虚淮、阿赫、逸風です。
(他にもいましたら、ご指摘お願いします)
ちなみに、抱っこの定義は“腕で持つ”とします。
それぞれの比較をしましたが、私がピックアップしますのは虚淮と阿赫です。

なんでかというと……特徴的だから!!w

無限と洛竹は猫の姿での小黒を片腕で抱いており、無限と逸風は白くなった小黒を大事そうに抱き上げています。
正直、この二者間において差はあまりありません。
無限の抱き方の変遷は面白いと思いますけど、みんな小黒と無限が仲良くなるのは観ててわかるでしょうし、言わなくても良いかなって(雑)。


まず、阿赫。

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電車の乗客に「自分の子をそうやって抱えたりしない」と指摘されるほど、雑な抱っこです。
運べればいいや、くらいの。怪しまれないためにも、ちゃんと抱くべきでしたね。
でも抱くという親密な行為を、道具扱いの子にやってあげるようなキャラでもないようです。

道具扱いというのも、阿赫は姿こそは中盤からですが、能力自体は物語冒頭から出てきています。

都会の路地裏で、三人の人間にバットやドラム缶を振り回され、小黒が追い詰められるシーンです。人間の目が操られている時の目です。
(筆者も初見時、「何も三人でやらなくても…」と違和感を抱きました)
人間を利用し、小黒に近づく作戦のようです。
味方としてピンチを助けてあげれば信用してくれますしね。
彼は風息と同様の価値観を持ち、最初から小黒を領界としてしか見ていません。

①で「風息と離島組他3名には溝がある」というまとめポイントを述べましたが、阿赫にはそれが無いように感じます。

これはただの筆者の感想ですが、賢くて怖い子たちだなと思うと同時に、年若さを感じます。
ヤンキー高校生みたいな……


それを踏まえて、次は虚淮。

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小黒を利用されたことにブチギレた無限が離島組に追いつき、まず小黒を取り返すぞというところで、虚淮が小黒を抱えて逃げます。

まさかのお姫様抱っこ。意外すぎる。
そして無限の追駆に、小黒を盾にしようという卑怯なやり方もしない。
誠実に、庇護する対象として抱えている。

かといって、片方の肩に抱いてもう片方の肩で守ろう(母親が子どもにする一般的な抱っこ)という、そこまでの庇護はありません。
そして無理そうだと判断したら、空中で手離す。
それくらいの価値の持ち方です。
まあ、離島組にしては誠情な方かなと思います。

このことから言えるのは、
虚淮は離島組に属しているものの、極めて中立な立場ということですかね。

お姫様抱っこをした理由が、小黒が子どもだからか、あるいは負傷者だからかはわかりません。
ですが、利用した立場であるのに阿赫と違って、最後までちゃんと丁寧に扱える。
優しさを感じる反面、看過の意志を感じるというか……中立ってそういうとこありません??


そして、中立ということは、どこに居ても自分という芯がブレない。
自分の世界をきちんと持てているということ。
風息のように居場所を奪われて何かにひた走るのは、居場所が自分のアイデンティティそのものだからです。
しかし、虚淮はとっくにアイデンティティを確立させている。風息よりかなり大人(年齢が上である)だと思います。

「コイツ(筆者)、虚淮に関してめちゃくちゃ語るやん…」て思いました?
推しなのでちょっと熱くなってしまいましたね。

オマケは以上です。
「仕草や行動からは価値観や年齢がわかる」、そういった感じですかね。
長くなりましたが、閲覧ありがとうございました!

引用画像

羅小黒戦記official Twitter @officia85728299
Youtube 雙笙《容身之所》電影【羅小黑戰記】印象曲 Official Music Video