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「メタルマックスらしさ」とは何かを考える。 #MM愛30th

だらけです。
「メタルマックス」という今年発売30周年を迎えるシリーズタイトルがあります。


 「竜退治はもう飽きた!」と叫んだあのCMから30年。「戦車と人間と犬のRPG」と銘打たれ紆余曲折ありながらも、熱烈なファンに愛されながら走り続けている、他にはない独特の熱量を持ったタイトルだと思います。私もシリーズタイトルをいくつか遊んできました。今回私はメタルマックスシリーズの魅力を振り返りながら「メタルマックスらしさ」を考えてゆこうと思います。なお筆者が思い入れのあるタイトルが「メタルマックス2」なので、メタルマックス2を主に取り上げてゆきます。

リアリティよりも遊び心を

戦車《クルマ》を手に入れ、改造して強化して戦ってゆく点は特徴的です。実在の戦車をモデルにしたものも多く登場します。とはいえメタルマックスにおける戦車はいわゆるミリタリーファンが楽しむような、リアルにこだわったものや、本物の戦車ならではの魅力とは少し外れた楽しみ方があります。メタルマックスでは戦闘に使う車両のことをクルマと呼びます。そこには戦車だけでなく、バギー、救急車、野生のバス(バスが野生とは!?)、バイオタンク、神輿、バイク、変形アンドロイド等もはや車両なのかどうかさえもあやふやなものまで、クルマと呼び戦ってゆきます。
また改造の幅がとても広く、大砲だけ5門装備!とかエンジンを2つつけてWエンジンにすれば積載量倍増!など、現実的にそれどうなの!?と思うような改造も出来てしまいます。感覚的にはレゴなどの組み立て自由なおもちゃを好き勝手にカスタマイズするものに近いと言えるでしょう。強さを追求するのもよし、リアルな戦車に寄せるのもよし、好きなように遊べるところが大きな魅力ではないでしょうか。

思わずツッコミたくなる魅力がある敵たち

メタルマックスに登場する敵は、大破壊が起こった際に生まれた奇形な生物やそれ以前の時代に存在した兵器などがモンスターとして登場します。戦車などの兵器が暴走したものもありますし、私たちが普段目にしているような日用品がモンスターになってしまったものもあります。灯油を入れるポリタンクに足が生えた「うろつきポリタン」、注射針に羽が生えて飛んでくる「ふるえるハリ」や「フライングBCG」、果ては大型の無反動砲を4門積んで走る「ムハンドーフォー」など、例を挙げればキリがありません。日常的に触れているものが襲い掛かってくることの恐怖と、それを上回るほどの「こんなモンスターデザインみたことない」という興味深さと、思わずツッコミを入れたくなるようなネーミングセンスやおかしなデザインのおもしろさ等が入り混じった、他の作品にない魅力がメタルマックスのモンスターにはあふれています。

大破壊後も、日々を生きる姿は様々に

メタルマックスの世界は大破壊という災厄によって荒廃した世界が舞台となっています。大気は汚れ大地は荒れ果て、様々なモンスターが跋扈する世界で人々は身を寄せるようにおびえながら生きている……と思いきやなかなかどうして、そこで生きる人たちは様々な顔を見せてくれます。ここではゲーム内のNPCのセリフ等を振り返りながら考えてみます。

「よごれた海によごれた雨がふる…それでも人は海のそばをはなれたがらない。しょせん、人間は水なしでは生きていけないのだ。」

大破壊による環境汚染で汚れた内海を見つめている人のセリフ。厳しい現実に向き合いながら見えた真実なのかもしれません。

「へい!らっしゃい!汚せんされた海で取れたビチビチのきけいぎょだよ!」

魚売りのセリフ。上に挙げた例を読んだとひっくり返ってしまいそうな、この逞しさ。どんなに汚れた海でもそこに魚があれば、売りさばくのが商人なのかもしれません。

「ふんばらばら ふんばらばら ハーッ!戦神よ ねがわくば ぐらっぷらぁ なる あっき もうりょう たいじして くれまほしきかな! しからば せかい へいわ じんるい みな きょうだい さいせん ざくざく ハーッ!」

戦車を祀っている神社で祈祷を捧げている社主の言葉。一見この世界の平和を祈っていると思いきや、この生臭さ。最後まで読み切った後に思わずズッコケてしまいたくなるほどの、清々しいほどのうさん臭さはなかなか出会えないと思います。

例として挙げたのはわずかですが、メタルマックスの世界にはその世界に生きる人たちの生き生きとしたセリフがとてもたくさん登場します。荒廃した世界に向き合い考えてゆく人もいるし、大破壊後の大変な世界でも日常を続け、生活をするために商いを続けてゆく人たちもいます。
この記事を書いている2021年現在は、世界は新型コロナウィルスによるコロナ禍が続いています。コロナ禍が続く今、私はこのメタルマックスの世界で生きる人たちのセリフがとてもリアルに感じられるようになりました。今現在も世界中で多くの人が罹患し、苦しみ、死者が増え続けている。そしてもし自分が罹ってしまったらどうしようという恐怖と隣り合わせに生きています。
しかしながら、そんな恐怖と隣り合わせの人生をしながらも、日々の生活は続いてゆきます。仕事にもゆくし、食事もするし、買い物などの家事もする。以前の生活とは形式こそ変わるけれども、人と会い、好きなものを追いかけて、辛い出来事にも出会い、おなかをすかせて駆け回っています。コロナ禍の中でも、私たちはこれまで通り笑い、泣き、怒り、考えて生きています。そうやって日々生きている私たちの姿と、メタルマックスの世界で大破壊後の世界をたくましく生きている人たちが、まるで写し鏡のように重なって存在しています。面白おかしく描きながらも、リアルを鋭く描いているこのセリフには改めて心を動かされました。

遊び心とほんの少しの笑いを

ここまで様々な角度からメタルマックスの魅力を考えてきました。ほかのゲームにはないオリジナリティを強く感じるメタルマックスシリーズですが、その個性の根っこには洗練されたスタイリッシュさとは一線を画した、とても庶民的で、なじみ深い親しみやすさがあると思います。リアリティを追求するのではなく、ゲームだからこそできる遊び心。そして日々の中で感じる人間のリアルな姿を描いた世界。それらは重く描かれるのではなく、思わず笑ってツッコミを入れてしまいたくなるような笑いが内包されたしょうもなさなどと共に提示されています。
シリーズを通して登場する、ゲームキャラクターの蘇生担当の「Dr.ミンチ」が今述べたメタルマックスシリーズの魅力を最も体現していると思います。戦地で倒れ黒焦げになった死体を、あろうことか電気ショックでよみがえらせようとする妙なリアル。そして蘇生が失敗した時に、何事もなかったように電気ショックを追加でくらわせる潔さ。果てはまだ存命のキャラクターを紹介すれば「なんだこの死体は!まだ生きてるではないか!」と怒られる始末。常識や良識の範囲内では生まれてこないような笑いを込めながらも、苛烈な世界でたくましく生き抜く楽しさ、クルマを駆って走り抜けてゆく気持ちよさは、他のゲームでは体験できない唯一無二の存在だと思います。
改めて、メタルマックスが生誕30周年を迎えたことを心からお祝い申し上げます。これから先もメタルマックスの新作が楽しめる世界でありますよう!

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たくさんのゲーム音楽演奏会に参加して、たくさんレポートを書いてゆく予定です。