雑記:体験したくてしかたがないんだ

こんなことを考えていた。

以前に「ゲームは体験型の娯楽である」という旨の主張をした。

今でもそれは変わらないし、その体験型の楽しみ方を続けていきたいという気持ちもまた変わらない。そして、ゲーム実況プレイを見る楽しみ方があることも抵抗がなくなって来た。

つまりはゲームを自分でプレイすることは体験型の娯楽、ゲーム実況プレイ等を見ることは鑑賞型の娯楽とざっくり分けることができる。体験型と鑑賞型の違いはインタラクティブ性にある。自らの手でゲームの内容に関わっていくか、他の人の手が入ったものを受け取るかの違いだ。言い換えれば、鑑賞型の楽しみ方は体験型の楽しみ方から生まれた副次的なものだろう。動画配信サイトの隆盛等のメディアや技術の発達と共に、(以前から存在していたかもしれないが)新しく広まってきた楽しみ方だといえる。

この体験型と鑑賞型の楽しみ方は、別にゲームに限ったことではない。もっとはっきりわかりやすくその楽しみ方があるのが音楽だ。体験型は自ら楽器を演奏する、鑑賞型は配信された楽曲を聴くことだ。ゲームよりも音楽の方が体験型の楽しみ方が広いかもしれない。例えばライブを観に行くことは、自分で音楽を演奏することはないが、ミュージシャンのプレイに合わせて声を上げ、身体を揺らし、腕を突き上げ、手を叩く。その場を包む音楽の渦の中に揺蕩いながら、観客もまたライブの音や画を構成する一要素として動き、盛り上がり、混ざり合って、一体感を作り出す。

そう、体験したくてたまらないんだ。

ライブの音に身体を預け、歌詞に心を乗せて、音の渦の中でその場にいる人たちすべてと心を合わせて、共に音楽を楽しみまた共に一期一会のライブを作り上げてゆきたいと思う。

ゲームだってそうだ、目の前で繰り広げられる物語に一喜一憂し、コントローラを握って世界のどこかにいる同じプレイヤーと戦い、難解なパズルのピースをはめてゆき、道を拓き、困難を越えてはじめて見える場所に辿りいてみたい。

そうやって目で見て耳で聞いて心を動かしてゆくことが、また新しいエネルギーを生んで、また新しい場所へ歩いていきたくなる。心が楽しむ方へ、もっと楽しいことが見つかる方へ歩けるように。もっと体験をしてゆきたいんだ。

たくさんのゲーム音楽演奏会に参加して、たくさんレポートを書いてゆく予定です。