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ゲーム実況配信は、ゲーム未プレイの人のものだ。

ゲーム実況の動画、生配信はもはやゲームを楽しむ一ジャンルと化した。新しいゲームをプロモーションするにも用いられるし、発売したゲームを各々が配信して、それを見て楽しむ人が当たり前の存在になった。
ゲーム実況配信は、その視聴者が配信に載せてコメントを投稿できるシステムであることがほぼ一般的だ。視聴者は配信を見ながらそこに投稿されるチャットを同時視聴してライブ感を楽しむ人も多いだろう。
今回は、そのチャット欄に集まる人たちの話をする。

ゲーム実況配信を楽しむには、鉄の掟が存在する。それは「ネタバレ厳禁」だ。ゲームの配信者にネタバレをしないことは勿論のこと、「一緒に配信を楽しんでいる」視聴者のためにもネタバレはご法度となっている。誰だってゲームをプレイ中にネタバレを見たくないだろうし、そんな嫌な思いを他の人にさせてしまうことは辛いことだと思っている。ごく自然な発想なのかもしれない。

……果たして本当に「ごく自然な発想」なのだろうか。

これは古い人間の認識であると自覚はしているが、今一度整理して考えたい。ゲームのネタバレを見たくないなら、自分一人でゲームの世界に没頭すればいい。わざわざ自分と違う人が集まる場所にきて、自由闊達に盛り上がるチャット欄をのぞき込むのは、自分からネタバレの危険がある場所に出てきているのと同じなのではないだろうか。「ネタバレをやめてほしい」という感情は素朴なものだが、そもそも何を以てネタバレとなるかは、その時その瞬間やその人の感性によって変化するものだろう。ある人には気が付かないような情報でも、察しの良い人にとってはネタバレになるかもしれないだろう。

「ネタバレをしない」というのは一つのマナーと考えられるものだ。それは映画館やオーケストラコンサートで騒いだりせずにいることと同じ感覚なのだろう。どちらも「同じ場所にいる他人に迷惑を掛けない」という感覚で生まれたマナーだと言えるのかもしれない。

少し考えてほしい。

本来的に、ゲームの内容を体験し知る為には、そのゲームを購入しプレイしないといけないものだ。オタクの感覚として、実際にお金を払い商品を購入することは商品の正しい楽しみ方だ。ところがゲーム実況の場に移ると、既プレイの人たちは自由闊達にチャットに参加するわけにはいかない。ネタバレに配慮しながら自身の発言を制限する必要がある。推理ものアドベンチャーゲーム等は特に気を付けなければならない。

アンフェアではないだろうか。

チャット欄においては、お金を払ってゲームを購入した人間が、ネタバレに気を付けながら発言を制限させられて、ゲームを購入していない未プレイの人が自由闊達にゲームやゲームプレイについて発言できる。もし既プレイの人が「におわせる」発言をしたら「ネタバレしないでください!」と被害者の立場になって糾弾することもできる。

ネタバレがなぜここまで忌避されるのか?理由は大きく分けて二つある。
一つは、ネタバレはゲームプレイヤーがこれから体験するはずの楽しみを他者が容易に奪ってしまうからだ。自ら進んで他人の楽しみを奪いたいという人は稀有な存在だろう。強い悪意をもっておこなっているのかもしれない。そういった人以外の多くは、他者を不用意に傷つけたくないという気持ち――もしくは他者に自分と同じ喜びを共感し分かち合いたいという気持ち――から、ネタバレを忌避する。
もう一つは、ゲーム実況配信がゲームの宣伝効果がある(はっきりした根拠もガイドラインも存在していないが)と謳われているからだ。現代では販売側が公式プロモーションとして配信をすることも多いし、また公式からゲームの配信を広く進めることも珍しくない。ゲーム未プレイの人が興味をもって配信を見た後にゲームの購入者となるかもしれない。いわば商品がもっと広いユーザーの手に渡り、公式が儲かり、新たなファンが増えることを望んでいるユーザーが存在するからだろう。

ちょっと立ち止まって考えてほしい。
前者はどうだろう。未プレイの人の為に配慮するのは優しさだと捉えられるかもしれないが、そもそもあらゆる人が集まりゲーム既プレイのファンがいるかもしれない場に自ら進んで未プレイの人が来ているのだ。ゲームのネタバレを知らずに遊びたいのならば、ゲームを購入し自分一人でゲームをプレイすればいいだけなのだ。もし「みんなと一緒にゲーム実況配信を楽しみたい」と思うのならば、未プレイの自分自身とは立場の違う多くの人たちと一緒にいることを自覚すべきではないだろうか。多くの人と一緒にワイワイ楽しむことと、ネタバレをされるかもしれないというリスクはどうしても共存してしまうものだろう。「ネタバレをしないでください」と叫ぶことは、他者の言動をある程度律する働きのある言葉だということを、もっと自覚してもいいのではないだろうか。
後者に関して考える。そもそも「ゲーム実況配信には十分な広告効果がある」というのはどこまで信憑性があるのだろう。例えばそれがインフルエンサーでもない一介のゲームファンが配信したところで、どれほどの広告効果があるのだろうか。「ゲーム配信は宣伝になる」というのは、まだゲーム実況がアングラなものだと取り扱われてきた頃から言われてきた、いわば開き直りに近い方便のようなものであった。しかし現代では、公式がゲーム配信を行い、積極的に推奨する時代なのは明らかな事実である。
「自分が好きなゲーム会社が儲かると嬉しい」というのも、よく理解できるものではあるが、不思議な発想ではある。ただのゲームプレイヤーとしての立場を乗り越えて、まるで自分が会社の経営側にいるかのような発言にもきこえてしまうかもしれない。自分が好きなゲームがこれからもリリースされ続けることは嬉しいことなのかもしれないが、一個人がゲーム会社に対する利益を生むことなんて、特別な例を除いては、非常に微々たるものであることは忘れない方がいいと私は思う。

アンフェアなのかもしれない、けれどもそれがゲーム実況配信のチャット欄なのだ。

ゲーム実況配信は、テレビ番組と同じ立ち位置なのだろう。その多くは(配信サイトによって差はあるが)無料で視聴できる。配信に用いられているゲームを購入したかどうかは大きな問題ではない。それよりもゲーム配信上での盛り上がりを大切にする時代に、私たちは生きている。

アンフェアなのかもしれない、けれどもそういう時代なのだろう。

でも、「既プレイ者歓迎!ネタバレOK!積極的にゲームの内容をオープンにして、語り合い、理解を深め合おう」というゲーム配信がもっと増えてもいいのではないだろうか、とも思う。

※ 2024/3/20 本文に大幅な加筆修正を行った。

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たくさんのゲーム音楽演奏会に参加して、たくさんレポートを書いてゆく予定です。