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PS4「Death Stranding」レビュー:自分以外の、誰かのために。

「デス・ストランディング」と言うゲームは不思議なゲームだ。2019年にPS4版が発売されてから多くの人にプレイされ、そしてその思い出はプレイヤーたちの心にしっかりと残り続けている。他のゲームでは体験できない「荷物を運ぶゲーム」はともすれば「人を選ぶゲーム」なのかもしれない。そしてこのゲームのどこが人を選ぶのか、もしくはなぜ人はこのゲームにハマる人とそうでない人に分かれるのか、ということを考えて述べてゆきたい。

先に結論から述べてしまえば、このゲームが「人を選ぶ」ポイントは、プレイする人に「他者のために貢献することが喜び」という感覚があるかどうかだと思う。すなわち、他人に対する「優しさ」がどれほどあるのかと言い換えてもいい。

「デス・ストランディング」の思い出を語る人は多い。プレイした時の様々な困難や出会い・物語に対する自分の気持ちをつらつらと他人に語ることは、とても面白いし「デス・ストランディング」のプレイで色んなことを考えた結果それがどれだけ自分にとって大切なものになったのかが再確認出来るからだ。一方で、「デス・ストランディング」というゲームをゲーマーの視点から"レビュー"することは難しいと思う。
従来のゲームレビューで取り上げられるポイントとして、ゲームシステム、物語、アクションの快適さなどの要素等がある。しかし「デス・ストランディング」の場合それらの要素に注目するだけではその魅力は語りきれない部分がある。
例えばアクション性。快適かと言われたら首を傾げてしまう点が多く、非常にまどろっこしいと感じるところが目立つ。荷物の運搬には重量制限など様々なリスクが伴うし、道中BT に遭遇して際にはBBが激しく泣きわめいてしまい、赤子をあやすアクションを求められる時もある。こういったリスクはそれを乗り越えた時の快適さを得るために用意しているとは考えづらい。むしろアクション操作の快適さを損なっていると感じることが多い。
しかし「デス・ストランディング」はそのような思い通りにゆかないこと、理不尽さがそれぞれの依頼を達成した時の"手ごたえ"となるよう、丁寧に設計されているゲームだと思う。

手触りと手応え

実際にプレイをしている時に感じるのは、プレイの快適さを追求しているゲームではなく、大事な荷物を運んでいるその「手触り」を大切にしていることだ。実際に荷物を持ち、背負って歩く時の「手触り」やその荷物をしっかりと相手に届け終えた時の「手応え」をしっかりと感じるように設計されている。アクション中や荷物を背負っている時の重さを、コントローラーの震えによって繊細かつダイナミックに表現しており、それが実際に荷物を運んでいるかのような「手触り」に大きく貢献している。そしてそのリアルな手触りを通して荷物の質量やそこに込められた思いを掌から感じ、無事荷物を届けて依頼を完了した時の「手応え」をさらに確かなものにしている。

ここでいう「手応え」とは何か?それはすなわち、自らが苦労して依頼を完了させることで、自分以外の誰かが幸せになったり笑顔になったりする事への喜びだ。荷物を届けた相手の笑顔や、サムに贈られる「いいね」で私たちの心は満たされる。「デス・ストランディング」で主人公であるサムが繰り返し行なっているのはまさに肉体労働であり過酷な配送作業であり、サムに向けられた感謝の気持ちを通して私たちは大きな満足を得る。

過酷な配送作業を終えた後に見える人の優しさや、苦労して国道を整備したりカイラル通信を接続させたことによって各シティに暮らす人たちの生活を向上させ、社会の再構築に役立っているという感覚。そのような他者や社会へ貢献することを喜びと感じるか否かでこのゲームの評価は大きく分かれる。

誰かの為に、社会の為に。

ゲームサーバーにログインすることによって、これまで「デス・ストランディング」をプレイした人達と、あらゆる建築物や配送物を共有することができる。自分が配送業務に携わる時は、他の誰かが作った建造物を活用して依頼をこなしていくことができる。またゲーム中に自分が辿った道のりが轍となり、それが他プレイヤーと共有されて歩きやすい轍を作ることで、この世界にいる同じゲームをプレイしている誰かのゲームプレイに役立つことも出来る。「自分の足跡が誰かの役に立つ」と信じて歩き続けることをとても嬉しく感じ、見知らぬ誰かのために自分が苦労をして敢えて険しい道を切り開きたくもなる。見知らぬ誰かに助けられてその人に「いいね!」と感謝をしながらゲームプレイを進めていく。そういった(間接的な)人と人とのやり取りが温かいと感じる人にとって、「デス・ストランディング」はどのゲームにも代えられないほどの素晴らしいゲームになる。
トランプ前アメリカ大統領が露わにした「分断」をきっかけにして、このゲームは作られたと小島監督は語っていた。そして今まさに、現実においてもネット上でも、世界中のあらゆる場面で「分断」を強く感じることが開発当時よりも明らかに多くなっている。そんな現在だからこそ、「デス・ストランディング」を通して他人への優しさや他者の存在を認めること、人と人とを繋げてゆくことの素晴らしさ、そして自分の足取りが誰かに繋がっていると感じること等を強く感じることが、今とても必要なのではないだろうか。このゲームを通して是非多くの人に、他者や社会と繋がることに改めて向き合ってほしいと強く願う。

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