頼って、みた。

肌寒さを感じる、雨の降る日だった。

「しんどい。消えたい。」
「何をしても意味がない。どうせ全部必要とされなくなる。」

そんな気持ちを毎日のように募らせていて、でもどうにか解決しないと迷惑をかけ続けるだけだ。自分という存在が気に入らなくて、自己否定はこれ以上にないくらい繰り返していた。

けれど、他人に迷惑を掛けたくない。相談することも、気を遣わせることも、全部僕みたいな人間のためにさせるのは迷惑だと思う。

だから、心療内科にそろそろかかろうと思っていた。相手はプロだし、こんな言い方をするのはすごく嫌な奴だろうけど、「お金を払っている」ことでこちらとしても幾分気持ちが楽になる気がした。


予約が取れない。

最短で1か月先とか。いや死にたいのは今だしな、なんて思いながら、中旬の予約を何とかとることができた。
迷惑はかけたくないけど、自分で処理できるキャパの限界はとうに超えている。

そうは言っても1か月も先では、死にたい気持ちは募るばかりだし、日常生活にも大きな支障が出始めた。
たぶんアル中になってるし、寝れないし起きられない。正常なときはずっと消えたいから、麻痺させるようにアルコールを入れる。
浅い呼吸をなだめるように、酒で深い眠りにつく。

辞めなきゃいけないのはわかってるけど、頼れるものはそういった無機物しかなくて、血の通った人間に対価も払わずに相談することはできなかった。


このまま日常に影響が出続けるのは良くないから、ダマしでもいいから、スクールカウンセラーを頼ってみることにした。もともといろんな人には勧められ続けていたんだけど。

「今日を含む最短で。」

そんなことを書いたような気がする。メールを打つとなるとハードルはすごく高くて、「しんどい」の意味を伝えるために何度も書き直した。
結局のところ本意を伝えることは難しくて、ビジネスメールみたいなかしこまった文章になってしまう。そうでもしないと、自分を防御する術がなかった。


雨が降って低気圧だったのもあるだろうけど、もちろんそれだけじゃない。
身体は一切言うことを聞いてくれないし、それでも予約の時間は迫ってくる。荷物ひとつ準備するにもあっちとこっちを行ったり来たり。

荷物はサコッシュ一つで済むはずなのに、1時間もかかった。この時点で遅刻確定で、改めて「すみません。」とメールを打つ。それに15分。
電車は絶望的に乗り合わせが悪く、雨で遅延すらする始末。


遅刻しながら大学の部屋の扉を開けて、相談室に通される。
学籍番号やら、学年やら、事務的なこと紙に書いて、待つこと10分。カウンセラーの人がやってきた。

結論から言うと、行かなかった方が良かったのかもしれない。
カウンセラーの人が悪いわけじゃないし、親身になろうとしてくれた姿勢はすごくよくわかる。


仕事などで何とか人の形を保っていた僕には、「カウンセラーに頼る」という部分での頑張る力はなかった。
症状を自分から伝えるので精いっぱいで、それ以降は流れに身を任せることしかできなかった。

カウンセラーの人は「近所のやさしいおばちゃん」といった印象だった。
5分ほど現在の症状や日常生活への影響を問診して、あとは手順などはなくカウンセラーの人が進めていく感じだった。

繰り返すようだけど、今の僕に「自分から進んで言及する」力はほとんどなくて、尋ねられたことに応える形式を期待していた。期待するだけでそれを伝えなかった僕が悪いんだけど、それすら伝えられる状況じゃなかった。


カウンセラーの人は当り障りのないことを言っていたような気がする。
「時間が解決する」
「無理しないで今は療養に専念して」

そんなことはもうわかっているのだ。こちらは医療機関にかかるまでに、なんとか人の形を保つために頼ったのであって、解決策が欲しいわけではないんだ。
そんな言葉が、思い浮かぶのに言えない。

言おうとした矢先には、カウンセラーの人が言葉を続けてしまうし、言葉は続ければ続けるほど展開されていくものだ。つまり、僕が言おうとしていたことを改めて伝えれば、話を戻すような構図になってしまう。


結局、1時間のカウンセリングで、今の自分を少しだけ客観視したくらいで終わってしまった。
そんなことはもうわかっている、わかっていることを繰り返し再放送のように見ているだけだった。

スクールカウンセラーは、ここまでこじれた人のためのものではないんだ、と実感した。
もっと軽度な(といっては失礼かもしれないが)悩みを相談しに行くための場所なんだと思う。薬も出なければ診断書を書けるわけでもないしね。紹介状くらいは書いてほしかったけど、そこまで重くないと受け止められたのかもしれない。

もっと、
「サークルでなじめないんです」とか、
「研究室行くのがしんどいんです」とか、そういった『ギリ解決できそうなものに対して伴走する』ところなんだと思う。
だから、僕みたいにひどくなる前に、気軽に使った方がいいんだろうな。

あ、でも学内の事務連絡が楽になる部分は多少助かるかも。メール一つ書くのに数時間とか数日とかがザラになってしまった今では、自分の手でメールを打たなくていいというのは、その場しのぎであるとはいえありがたい。


今は、心療内科の初診に向けてメモを書いてる。
どうせまた自分の口から説明したりするのはできないだろうし、診療の時間をそれで無駄にしたくない。

メモに書きだすのもなかなか大変で、お医者さんに伝わるようにできるだけ客観性を持たせて書いてるつもり。
でもどうしたって自分のこころのことだし、主観的な部分も出てきてしまう。

それならもういっそ全部主観的でいいんじゃないか、とも思うし、いやあくまでメモであって診察ではない、とも思う。フォーマットとかくれよ。


診察は約10日後で、それまで何とか生き延びねばならない。
消えたいと思うのは自分だし、診断の出ていない状態では病気のせいにすることもできない。


これで「なんの病気でもないですね」とかなったら笑えるよね。


いやたぶん笑えないな。
生きる意味が一つもなくなってしまうね。

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