「子どもたちのミーティング」を出した頃03
本を書くことで、ミーティングをつかんでやろう。
そう思ったものの、そのときの私に最初から具体的なアイデアがあったわけではありませんでした。
どこかの出版社から声がかかったわけでもなかったので、本の構成も自分で考える必要がありました。
愛子さん(柴田愛子さん)にミーティングのあれこれを対談形式で聞きたい。まず、これははずせない。それが本を書く主目的ですから、その対談部分が必然的に本の主要な部分になることは想定がつきました。
でもそれだけでは足りない。
そもそも「教えてもらいたいので、対談してください、そしてそれを本にして世に出したいんです」って言っても、愛子さんが「うん」と言ってくれるだろうか。私にはそこに大きな不安がありました。
私が大きな不安を感じていたのには理由があって、前に愛子さんからこんな話を聞いていたからです。
「ミーティングのことは外では話してないのよね。ぜったい誤解されるから。だから本当はミーティングのなかで起こったことでも、ミーティングというのは伏せて、保育の中の出来事として話してるのよ」
うーむ。その開かずの扉を自分が開けようとしている、しかもミーティングを体得してるとか、極めてるとかではぜんぜんない、いやむしろこれから学ぼうとしている自分が外に開こうとしている。
こりゃ無理かもしれん。あー、ぜったい「ヤダ」って言われるな。
そんなふうに私は妥当かつ大いなる不安を覚えていたのです。この不安が本の構成にも結果的には影響を与えることになりました。
私としては「ぜったい断られないなにか」が必要だったわけです。そこで私は自分の実践を書き溜めて、愛子さんに見てもらい、その実践に対してコメントをしてもらったり、それに寄せる感じでミーティングのいろいろを私が聞いていくという対談にしたらどうだろう(こう出られたらさすがに断らないだろう、いや断れないだろうw)という目算をたてました。
あー、これ、いけるな。ぜったいだめって言えまい。こんな健気に出られたら…。まさに取らぬ狸の皮算用とはこのことで、まだ一文字も書いてないのに、もうミーティング本ができあがったかのように、私は有頂天になっていました。
後々、いくつか本を書くようになってから身にしみたのですが、本というのはこの段階がいちばん楽しい。ああでもない、こうでもない、と構想をねっているときが(少なくとも私は、でもたしかドストエフスキーも日記かなにかで言ってた)。実際に書くとなるともうそれは別のターンに入っていくわけです。
さて、そうと決まれば実践を書きためなければいけません。それまでいろいろな記録は書いてはいましたが、ミーティングを書いたことはありませんでした。
それでその頃一緒に組んでいた、ナガタヨシコさん(イラストレーターでもあり、りんごの木に一緒に「入社」した同期でもある)に、ミーティング中にできるかぎり速記のように言葉を拾って書き留めてもらうよう頼んでみました。
「えー、そんなことできるかなぁ」と、ナガタヨシコさんは言いました。「しらんよ、ぜんぜん書けてなくても」そう言いつつも、人のよいナガタヨシコさんは了承してくれました。
ミーティングをやるたびに、せっせとナガタヨシコさんがそれを書き留めてくれます。ナガタヨシコさんのメモは3行くらいのときもあり(ナガタヨシコさんもミーティングに参加してるわけだから当然です)、8割くらい拾ってくれるときもあり、分量はばらばらでしたが、私の記憶だけで書き起こすよりは相当心強い資料を作成してくれたのでした。
日々ミーティングをして、ナガタヨシコメモと自分の記憶を照らし合わせて書き起こす…そんな地道な作業を繰り返し、40個くらいのミーティングのメモができあがりました。
ただそれは記録であって、記述ではありません。ここからこれを外に開いても恥ずかしくない実践の記述にしなくてはいけません。でもそんな外向けの保育の実践記述なんて私は書いたことがありませんでした。(小学館で賞をいただいた「わたしの保育記録」には応募しましたが、あれはどちらかというとエッセーといっていい形式でした)
「実践記録ってどう書くんですか。なんか書き方ってあるんですか」
私がさりげなく相談すると、愛子さんは電話のよこにある裏紙の束から一枚紙をひっぱって、ささっとそこに書きながら教えてくれました。
「まず前提状況ね、エピソード、ふりかえり、だいたいまあこんなもんじゃないの」
なるほどなるほど。私はその裏紙に書かれた愛子メモを持ち帰り、ミーティングの記録を書き直す作業に入りました。
季節は夏。今年の夏ほど暑くはなかったとはいえ、ふつうの夏くらいには暑かったことは記憶しています。
貧乏だったのでクーラーをつけるのは憚られました。それでも私は家にこもって、ひと夏のあいだにおおよそこれを書き上げてしまわねばならぬ、と心に決めていました。
机の上にパソコンを置きました。20分ごとになるようにタイマーをかきました。20分書いたら、10分休み、また20分書きます。そして10分休みます。これを延々と繰り返しました。
本というのはいろいろな書き方がたぶんあるんだと思います。このときはとにかく量を、ある程度のスピードで書かねばならぬ、と思っていましたので、愛子メモを頼りにこれまでに書いたことのない書き方をしてみました。
まず、ミーティングの記録ごとに仮のタイトルをつけました。
それから各事例の「前提状況」だけ、だだだっと書いていきました。
そのあと、さきに「ふりかえり」を書きました。
いちばん手間がかかる(それゆえ、とっかかりにくい)「エピソード」部分は後回しにしました。
ひとつひとつの事例をひとつひとつ書いていくのではなくて、「前提状況」だけ、「ふりかえり」だけ、「エピソード」だけ、いわば横移動(並行移動)して書いていったのです。
一冊の本になりうるだけの事例の量を、ひとつひとつ書いていくのは、ちょっと息が続かない気がしたからでした。
ピピピッ。タイマーがなります。汗だくになった体を床に投げ出して、寝っ転がります。扇風機(扇風機の電気代は安いと聞いていたので)を顔にあてて、目をつむります。セミの音がする以外は団地の夏休みはとても静かです。
ピピピッ。タイマーが鳴って、また私はからだを起こしてキーボードに手を置きます。息を吐いて、前提状況をやっつけにいきます。ダダダッと。ある程度できてきたら、今度は「ふりかえり」です。ここは少々むずかしい。あんまりしつこくても、読み物にならない。私はこれを読み物としてもなるべく多くの人に、ながく読まれるものにしたかったのです。
日が暮れて、夜になって、また朝がきて、扇風機とタイマーが回転しつづけて、私のミーティングの事例がだんだんと姿をあらわしてきました。ほとんど誰にも会わずに、だれとも口を聞かず、一週間くらいで書き上げました。
私は書き上げた原稿をプリントアウトして、その紙の束を手にりんごの木に向かいました。そして愛子さんに「これを半分、それから愛子さんとの対談をもう半分として、ミーティングの本を出したい」と単刀直入に、しかし意気揚々と言いました。
「いやよ」
愛子さんはあっさり言いました。
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