マティス展 マティスプロデュースのロザリオ礼拝堂が最高傑作である理由【東京都美術館〜8月20日まで開催中】

19年ぶりに開催された”マティス展”に行ってきました。
前回2004年に国立西洋美術館で開催された際は、
約45万人が訪れた、素晴らしい展覧会でした。
その時の記憶があり、
今回もカラフルな絵に癒しを求めて訪れました。
結論から言えば、
今回は前回のようなカラフルで有名な絵
(下に2004年のマティス展を検索して出てきた画像のスクショを載せます)
はあまり見られず、
マティスが絵画を始めた頃から時間軸に沿って、
絵や彫刻などの作品の変化の様子に焦点を絞って展示されていました。


前回のパンフレットのスクショです

今回一番感動したのは、ロザリオ礼拝堂でした。
芸術とか、
美は、
空腹を物理的には満たさないけれど、
心に深く浸透していくことで、
人に変化を生み出すと思います。

日常生活を送る中でどうしても
所有を渇望する感情、
”不足しているなにか”を埋めるべく消費に走る衝動、
そういうものを優しく鎮め、癒してくれるように思います。

この礼拝堂の窓にはめ込まれたステンドグラスは、
マティスミュージアムのホームページからも見ることができます。
会場では4Kで撮影されたこのステンドグラスの映像が、
約5メートルの幅のスクリーンで映されているのですが、
プロジェクターの輝度が足らないのか、あまり綺麗に見えなかったです。
そのため、ホームページの写真を拡大して見るのがおすすめです。

ステンドグラスの上部が黄色なのが、キーではないか。 
Musee Matisse [https://www.musee-matisse-nice.org/en/the-artist/matisse-and-the-rosary-chapel/]より

下から、
アジサイの濃いむらさき色に似たカラーグラスが波打ち、
その上に、
生まれたてのイモムシのような垢抜けたグリーン、
さらに、
たんぽぽの無邪気さを振り撒くイエローのグラスが、
重なり合います。
祭壇のバックには、
縁をイエローでぐるりと囲われたステンドグラスのキャンバスで、
紫、グリーン、イエローの花びらが、
上へ上へと、私たちの視線を走らせます。
すると自然と最上部のイエローが目に入り、
優しい光に囲まれるような感覚がします。

「訪れる人の心を軽くするものでなくてはならない。」
そう強く願ってマティスがデザインした礼拝堂。
その通りになっていました。

シンボルマークの母子のイメージマークの前で、
私はティク・ナット・ハンの言葉を思い出しました。
「幸福への道はないー幸福が道なのだ」
この礼拝堂を見て感じたことを、
この言葉にならって、
私なりにいいかえれば、
「目指すべき美しい人生がどこかにあるんじゃない、
生きていることイコール美なのだ」
と言いたくなるような、
エゴから自由になって、心が軽くなる空間、
それがこの礼拝堂じゃないかなあと、
まだ訪問したことがないので想像しました。
いつか、必ず訪問したい。

奥に見えるのが、神父の線画です。 Musee Matisse HPより

神父を描く大きな線画。
確にこれは線画なのだけれど、
ずっと見ていると、心が引き込まれ、
神父の優しいまなざしが壁画から浮き出てこちらの心に染み込んでくるような錯覚をおぼえます。
マティスの線画は、
指が焼けるほどに透明なクリスタルでできたグラスのように、
中と外を仕切る輪郭だけうまく空間から切り出したような印象があります。
この礼拝堂の製作は1949年12月から始められたようです。
当時は二つの世界戦争が終わり、修道女たちは礼拝堂を切実に必要としていたそうです。
なぜか。
戦争もあって、病気や争いで生きることに癒しを求めていたから、ではないかと想像します。
誰かに受け止めてほしい祈り、どこかで引き受けてほしい告白を背負い込んだ人々を迎える場所として、
この礼拝堂が作られたのであれば、
そういう人々の重くなった心を軽くするために、
容れ物としての礼拝堂を作りたかったんじゃないかと、想像します。
人々が抱える重荷が、
ステンドグラスの模様の真ん中や、
神父のガウンのひだの柔らかなドレープの隙間に
吸い込まれていくようにデザインされているのではないなぁ、
と感じるくらい、
柔らかく優しい線ですが、
神聖な吸引力のようなものを感じます。

ここに、マティスが仕込んだカラクリがあるように思います。
マティスの絵は、
シンプルな線で描かれていて、
どこかユーモラスなところがあります。
安西水丸さんの絵に似ているような印象もあります。
これは子供をデッサンしていますが、
もう、水丸さんの絵にすごく似ていて、
真面目に話かけているのに、
とぼけたあくびをする猫みたいな感じがしますが、私だけでしょうか。


NHK HPより 水丸画伯の筆致に似ていませんか。

もちろん絵に描かれた人や風景はしゃべりませんが、
見る人の心にスーッと浸透してくるように思います。
つまり意識の壁を、飲み屋の暖簾をくぐるみたいに軽く持ち上げて、
気づいたらもうそこでロウソクに火をつけて待っている占い師みたいに、
自我のバリアをかわすのがうまいのが、マティスの絵のような気がします。
けれども、決して訴えかけるのではなく、
こちらの心の居場所をそっと空けて待っていてくれるような仕草を感じます。
そういう余白の魔術を、最晩年のマティスは披露してくれたように思います。

私はこのロザリオ礼拝堂の展示を見ていて、
人間関係でささくれだった胸の内が、マッチの火がゆっくり忍び込んでくるような心地よさを感じました。

礼拝堂は、厳かな空間というか、罪を諌められたり、説教されたりするイメージがありましたが、
このロザリオ礼拝堂の持つ冬のひだまりのような、
慎ましいけれども背骨の芯まで優しく温めてくれる、
優しい感じが新鮮でした。

今週末には、NHKの日曜美術館で特集されますので、
よかったらご覧ください。


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