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自分と子供達のスポーツの道No.9

野球を辞めた次男は、ソフトテニスに集中して練習に励んだ。しかし、次男の通う中学はソフトテニスが強いというわけではなく、どちらかというと適当に遊んでいるような子が集まる部活だった。そのため、市内大会で敗退し、地区大会すら出場できないレベルだった。そんな中、同級生を引っ張っていこうと頑張る姿は立派だった。ちなみに次男のテニスのレベルは、市内大会では常に上位、地区大会を勝ち抜き県大会出場を狙えるレベルだった。同級生の中にいた上手な子とペアが組めたのもありがたかった。そして自分と同じ後衛だった次男には、技術面はもちろん、経験してきたことを踏まえて、ゲーム展開や心構えなどもアドバイスした。

上級生が引退した夏以降は、副キャプテンとして個人戦・団体戦と頑張っていた。印象に残るのは、期間限定の陸上大会や駅伝大会の選抜メンバーに選ばれたにもかかわらず、テニスの練習時間を奪われるからということで辞退してまでテニスに打ち込んでいたこと。そしてこの頃から、高校は県下で強豪として知られ、常にベスト4以上の成績を残している学校へ入学したいと口にするようになった。そしてその高校から声をかけてもらうためにレベルアップを図った。

中3の最後の市内大会ではファイナルまでもつれたが準優勝、続く地区大会ではあと1勝で県大会出場までいった。残念ながら目標の県大会出場を逃したものの、入学を望んでいた高校から声をかけてもらい、入学することとなった。

高校ではインターハイ出場を目指して集まってくる、各地区のトップクラスの仲間と練習に励んだ。なかなか思うような結果が出せず、ペアも試合ごとに変わったりで苦しい時期もあり、インターハイ出場の目標すら見失いかけていた。自分は、次男の試合を都合がつくときには必ず観戦していたが、この時期に息子から「もう試合観に来なくていいよ。どうせ勝てんから。」と言われたことがある。おそらくテニスをやって来て1番辛い時期だったと思うし、負けることを恥ずかしいと思っていたのかもしれない。親に見られたくなかったんだと思う。

そのときかけた言葉は、「負けるから観に来ないでというなら、勝てるようになるまで努力しろ。親が観に行く、行かんなんてお前の勝敗に何にも関係ない。そんな気持が弱いようじゃ勝てるわけない。俺は観たいし、観続けたい。観に来ないでと言われても観に行く。逃げずに立ち向かえ。」だった。結果を出すための練習。人に勝つためには自分の弱い気持ち、不安な心をなくすことが第一だと知って欲しかった。

迎えた2年秋の新人戦は地区大会で大方の予想を覆し、同校対決に敗れたものの下級生と組んで3位となり、中学校時代から通じて初の県大会出場を果たした。苦しんでいた時期を知っているので、県大会出場を決めたベスト8決めの試合後は、隠れて泣きました(^^;

初の県大会は強風の中、何も出来ずにあっさり負けました。しかし、自信がついたのかここからの成長は目を見張るものがありました。   次回へ続く

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