ヨーロッパの言語では、生命と人生は同じ言葉で表現される。その結果、人生の主体と生命の主体は、表現上区別できなくなる。私達人間(そしておそらくありとあらゆる生命体)は、人生の主体ではあり得ても、生命の主体ではありえない。自らの生命を思いのままに出来る人間などいないからだ。

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