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「是々非々」という愚

SNSなどでの自己紹介によく見かけるのが「諸問題には是々非々で対応します」というもの。まあ、こう書く人は、ほぼすべて、全然「中立的じゃない」人なんですが、少なくともご本人は、自分のことを理性的だと信じているらしい。

こういう人から見ると私なんかは全然是々非々ではありません。自民党とその反対勢力が、たとえ同じ事をしても、私は同等に扱わないからです。自民党が「減税するぞ」というのと反対勢力が「減税するぞ」と言うのとでは、まったく文脈や意図が違うからです。

詐欺師が、自分を信じさせるために何かをしたとします。その人物が詐欺師だと知っている者にとって、その行為は、詐欺の一環でしかありません。それだけを切り取って評価する方が間違いです。個々の政治的選択を、それだけを切り取って論評するのはおかしい。私などは、自民党のすることなすことを否定的に論じます。それは、自民党という政体が、もはや腐りきっているからで、彼らが何をしても、そこからは腐臭が漂っているからです。

個々のトピックをそれだけを取り上げて「是々非々で」論じられると信じる人は、そもそも理性的、知性的ではありません。そう考えている時点で、まったくもって理性的ではない。自分は物事を判断するのに決めつけから入るわけではない、と信じている。

目の前の人物が、詐欺の常習犯であれば、彼の行う「見かけ上善意の行動」も、詐欺の一環だと考えるのが自然です。その一つ一つを、そういった思い込みから自由になって見ることは、一見すると、知的で、他者を「思い込みで判断していない」ように見えます。しかし相手が詐欺を行った人物であるならば、「これも詐欺ではないか」と考える方が理性的です。

こういったことを書くと、人権派と呼ばれる人々の「一部」から、「犯罪者の更生を妨げる奴」と指弾されるかもしれませんが、そういう人々だって、性犯罪者の行動監視には賛成の人が多い。

詐欺常習犯や虚言癖のある人間の言葉を「簡単に信じる」のは、相手が詐欺常習犯だとか虚言癖があることを知らない人だけです。物事を是々非々で判断する、と言っている人は、実は、個々の行動は、誰がやろうと同じだと信じているわけですが、そのこと自体が愚かなのです。


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