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半田市に現存する明治期の建築

国の登録有形文化財に登録されている小栗家住宅。明治初期の建物で、かつて醸造で一時代を築いた萬三商店の事務所兼住宅として建築されました。
表門をくぐると、推定樹齢150年の白モッコウバラがお出迎え。現在も居住されているので普段は見られないのですが、開花の時期だけ公開をしていただいています。長い時間をかけて成長したツルがハートの形をしていて、フォトスポットとしても人気があります。
4月中旬から5月初めにかけて可憐な花が見頃を迎えます。
半田市観光協会によって「白モッコウバラ祭り」が毎年開催されています。
コロナ下の今年(2021年)は予約制です。
https://www.handa-kankou.com/feature/2021mokkoubara/

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古くから知多半島最大の商業都市として栄えた半田市では、他にも由緒のある建築物が保存・活用されています。近隣にある明治時代の建築物を集めてみました。

旧中埜半六邸

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明治22年母屋を数寄屋造りに増改築して完成。
中埜半六家は、江戸後期から明治初期にかけて海運業や醸造業などで富を築いた、代々の半田の旧家。尾張藩御用達在郷十人衆に選ばれた、尾張でも抜きん出た名家で、尾張藩主を迎えるための御成間を邸内に常設していたと言われています。現在は特定非営利活動法人半六コラボが保存活動を続けています。庭園も素敵です。

特定非営利活動法人半六コラボ
https://hanroku-collabo.org


半田赤レンガ建物

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明治31年に旧カブトビールの製造工場として完成。カブトビールとは、中埜酢店(ミツカン)の4代目中埜又左衛門とその甥である盛田善平(敷島製パンを創業)が設立し、全国ブランドとなったビール製造会社。1900年(明治33年)のパリ万国博覧会で金牌を受賞し、当時は東海地方で最大のシェアを誇ったそうです。建物の設計者は、明治建築界の巨匠、妻木頼黄(つまきよりなか)。横浜赤レンガ倉庫や日本橋(装飾部)も彼の設計によるものです。

半田赤レンガ建物公式サイト
https://handa-akarenga-tatemono.jp

一般社団法人赤煉瓦倶楽部半田
http://www.akarenga-handa.jp


望洲楼

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現在も営業する安政2年(1855年)創業の料亭。明治初期建造の建物は高低差25mの斜面を生かした造りになっています。福沢諭吉をはじめ、小説家の田山花袋、民俗学者の柳田國男、海軍元帥西郷従道など、当時の著名人も多く訪れたそうです。 

望洲楼
http://www.boshuro.com/akinai.htm


成田家本宅

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前述「望洲楼」の旧店舗。明治11年に住宅兼店舗として新築されました。平成20年までは住居として使用されていましたが、現在は1階をカフェとしてリニューアルされています。


JR亀崎駅駅舎(JR武豊線)

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明治19年1月に完成した木造駅舎。なんと現役の駅舎としては日本最古という貴重な産業遺産でもあります。JR武豊線は、武豊港から東海道線建設の物資を運ぶため、愛知県初の鉄道として明治19年(1886年)に開通しました。東海道線の誕生を支え、日本の産業発展に大きな役割を果たしました。
現在の亀崎駅、武豊線のなかで利用客がもっとも多く、きれいに手入れされているのでそれほど古さを感じさせませんが、木造平屋建ての素朴なつくり、赤茶色の落ち着いた外観、木製の看板のあたたかみは鉄道ファンからも愛されているそうです。


JR半田駅跨線橋(JR武豊線)

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明治43年に建造された日本最古の跨線橋です。手前にあるレンガ造の建物は夜間信号機の火に使用される灯油倉庫だったそうです。跨線橋というのは文字の通り鉄道線路をまたぐように架けられた橋のことです。半田駅の跨線橋はホームに鉄道利用者が渡るための橋として今でも現役で活躍しています。
半田駅は道路の立体交差事業が進行しています。工事が完成するとこの貴重な歴史的産業遺産が見られなくなるかもしれません。


いかがでしたか。
半田市はもともと観光都市ではないのであまり目立たないのですが、山車まつりや新美南吉の出身地として知られる歴史と文化のまちです。そして古い商業都市らしく産業遺産がたくさんあります。ミツカンミュージアムや中埜酒造さんの国盛酒の文化館など現在の産業観光施設もあり、実は見所も多いんです。知多半島への旅行やドライブの際に立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

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