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なぜ逆里帰り出産だったのか

青い空。青い海。左手には腱鞘炎の手首を支えるサポーター。(いまは両手首に展開)

7月に出産して引き続き産休中の私はいま、沖縄にいます。ハイサイ!

転職の合間の有休消化で訪れた沖縄で出会った沖縄生まれ・沖縄育ち・沖縄在住の夫とは、付き合ってる間も結婚してからもずっと遠距離。

仕事は東京だし私の実家が川崎であることもあり、親のサポートが得られる川崎で出産して引き続き遠距離、あるいは夫に川崎に来てもらう案まで出ながらも沖縄で産むことに決め、ゴールデンウイーク明けから沖縄に来てしばらくリモートワークで働かせてもらった後、産休に入りました。

出産というと母親の実家に帰る里帰り出産が一般的な中、実家からわざわざ離れて沖縄に産みに来たというと周りからはまあまあびっくりされるので、理由を聞かれたときには「なんか楽しそうだから」とふわっとそのときどき思ったことを答えてきましたが、

いま改めて自分の気持ちを整理してみると、将来子供に沖縄を迷いなく「地元」だと言えるようにしてあげたかったことが一番の理由だったことに気がつきました。

母の地元の愛知で生まれ、父の仕事で海外へ行き、小学校入学手前で帰国してからは川崎に住みつつも中高は横浜、大学からは東京で過ごした私には、いまいち地元だと思える地域がありません。

しがらみもないけれど、アイデンティティは自分の経験で積み上げていかなければならない部分が大きく、30を過ぎても積み上げ切れている感覚がありません。地元の問題だけではないのはわかっていつつ、確固たる地元がある地方出身の人に出会うといまだに憧れの気持ちを持ってしまいます。

一方、夫含む、沖縄で出会う人たちの「うちなーんちゅ」というアイデンティティは強烈。

息子についても、とりあえずこの一点が決まっていることが、自分を確立していくとっかかりとして役に立ってほしいいうのが私の思いだったんだと、整理してストンと落ちたわけですが、意識的にやっていたわけではなく。

意識してもしなくても、子供にはつい親の願いが込められていってしまうのだとすると、自分の願いを子供にばかり込めて重くなり過ぎないように、自分自身でもちゃんと叶えていかないとな、なんてことをこれを書きながら思いました。

ちなみに里帰り出産に逆行して沖縄で産んでみたこと、というか夫との二人暮らしの中で産んだことは、結果的にとても良かったなと思っています。この話はまた別でいつか!

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