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「半分こ」の正義

ホルモンの影響か、我慢や無理が多くなる影響か、どうしても些細なことでイライラしやすくなった妊娠中や出産直後。

しかし産後3か月も過ぎたこの頃は、非常に心穏やかに過ごしており、そのきっかけとなった気づきが明確に二つあるので、今日はそのうちの一つについて書こうと思います。

一つは会社の部内報的なやつに寄稿してるからまだ出せないんだな👼

ところで私の特技の一つに、食べ物を等分に切り分けるというものがあります。むしろ他に特技と言えるようなスキルもありません。

これは昔、家庭内で切り分けられた食べ物の大小を巡る争いが起きないよう、切り分ける権利か、切り分けられたピースを先に選ぶ権利かのどちらかを選べるという母による制度のもと、常に切り分ける役を買って出ていた頃の修練の賜物。

しかし切り分ける役はうっかり失敗しようものなら切る労力を使った上に大きいピースをかっさらわれる挙句、見事に等分できたらできたで得をすることもないので、よくよく考えれば選ぶ側を選択した方がいいという事実には、なんといましがた気が付きましたね。

さてはともあれ、食い意地と、「損したくない」という浅ましい性格の結果身につけた、「半分こ」「等分」「平等」が正義という価値観。普通に思えて、これが実はやっかいな代物でした。

妊娠中、お酒も生物も食べれない。そんな中、夫に対する「私がこんなに我慢してるんだからあなたも何か我慢すべきでは?」という気持ち。

産後、夜中に子どもが泣いたら私が起きて世話をする。寝かしつけで子どもがギャン泣きする中、これまた夫に対する「絶対最後まで寝かせろよ?手伝わんからな??」という気持ち。

自分がやれば早いし、別に余裕もあるのに、同じだけやってほしいという意地から頑張らせようとする。

しかしあるとき、夫婦のリソースは共同資産、夫婦間で損も得もないよなとはたと気づき、子どもの世話に関して夫に無理をさせないようになってからの方が、なんだか気持ちが楽になったのでした。

半分このつもりでも得意不得意やキャパの違いで半分こにはならないし、そもそも「半分こ」という仕組みは誰をも納得させやすいものではあるけれど、当事者同士がハッピーなら物も負担が5:5でも1:9でも別にいいんですよね。

世の中で夫婦を営んでいる方々からしたら、というか夫婦以外の人間関係でももしかすると当たり前のことだったのかもしれませんが、結婚してからもずっと別々に暮らしていたので一年越しに得た気付きでした。

いや〜平和。

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