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連載コラム小説【裏街道の表事業】

父親は教育熱心、、というよりもステータスみたいなものにこだわりのある男だった。
俺を大学に入れるんだといつも息巻いていた。

息巻いていたと表現したのは俺の同級生の親父さんだった。
そいつとは小学校も中学校も同じで、どうも俺のことが気に入らないらしかった。腕力でかなわないからいつも勉強で負かそうとしていた。

中学校二年生の時だった。
三者面談になってどこの高校にいきますか?それとも就職ですか?という話し合いになって、担任の正福寺が「マジメくんは就職でしょうか?」と話し始めた時に親父が烈火の如く怒った。

「先生!なんで就職だと思うんですか!?誰かがそんなくだらねえ噂流したんですか?」
何事かわからない俺は目を白黒させるだけで止めることもできなかったのだが、親父は正福寺に食ってかかって胸ぐらまで掴んでしまったからだ後日大問題になった。
それでも「まあ、其腹さんだから」ということで穏便に済ませてもらえたらしい。

同級生の親父さんというのは町役場の職員で、貧乏を時代と共に生きているような人だった。いい大学を出ていたものの、病弱なことが幸いして兵隊検査に不合格になったらしい。結核も戦後、すぐに良くなったのはGHQとどこかで通じていたからじゃないかともっぱらの噂だったが、もしもGHQと繋がっていたなら今の世の中官軍なわけで、火のないところに煙はたたないものだぞという根拠のない噂に立派な尾鰭がついてだれも何もそれ以上追求することはなかった。

その親父さんはいい大学をでていたし、俺の親父は後になってわかることだけれど興行師で大学よりも先に経済を自分の人生で学び取った人だからそもそも考え方が違うし気が合わないのは当然だった。無論、俺は親父の血を引いているし同級生は同級生の親父さんの血を引いているから合うわけがなかった。

興行師は何者か、今の若い人たちは知らない。
反社会主義団体はその昔暴力団と言われていたことはまだ記憶に新しいと思う。暴力団がその昔は興行師として全国そこいらのエンターテイメントのプロモーターをしていた。これが俺の親父の稼業だった。
いわゆるヤクザというやつだ。

ここ最近はなぜか空前のヤクザブーム、ワルブームが蔓延しているけれど、俺たちはそこにひとつ釈然としない思いがある。かっこいいファッションとして語り継がれることに違和感異常に危機感を抱いているところがある。

ヤクザの概念が単純に「かっこいい」というもので流れてしまうと、暴力団から反社会主義団体と名前を変えて暗躍を許したような時代が繰り返されるだけだと思っている。

暴力はよくない、だから反社会主義団体だという曲解が少なからず言葉遊びのようになされた。
興行師というとあまりにも綺麗すぎる名前だから、本質がわかりやすいように暴力団と名前を変遷していった。

どちらも都合良く一面的な部分が切り取られ流れていった。それが時代の流れだと諦めていた時代もあった。でも諦めて間違いをそのままにしていくと、その流れは思わぬ方向に行ってしまい誰の手中にもなく誰も責任を取れない方向へといってしまうことになる。

仕事がなくなる。そして総じてその血筋は危険な暴力的な人々であり、社会を脅かす存在だとレッテルを貼られ、一時期はライフラインだと言われているスマートフォンの入手すら断られる事態となっていた。
基本的人権が保障される日本国民であるのにこれは差別以外の何者でもなく、反社会主義団体と指定されたことに対して俺たちは民族差別に通じるような気分でいる。俺たちの、過去の、その所属団体が「反社会主義」だからといってあらゆる生活の制約を受けていたからだ。
黒人差別を「非文明的だ」と声高に日本人のコメンテーターがテレビで賢ぶってコメントして金をもらっている。
俺だってそんな仕事ならいくらでもやるのにと笑ったかつての興行師の子息たちのなんと多いことか。

興行師は多面的だ。弁護師の仕事が多面的であるように、政治家の仕事が多面的であるように、警察の仕事が多面的であるように、主婦の仕事が多面的であるように。
側面的な切り取りを俺たちだけが、血筋で差別されることはかつての被差別部落にもつながるのではないか。

俺たちは一時期就職することも困難だった。無論、俺たちの子どもたちも血筋というだけでまともに進学も就職もできない。

俺の若い頃はまだ良かった。俺は立派に大学を卒業できたから。




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