ネタバレ有りシンエヴァ感想
ようやくシンエヴァを見れた。
2012年前作Qの頃、新入社員で仕事が嫌で辞めたい死にたいというのが口癖で、「エヴァを見るまでは死ねない!」と冗談のように言い続けてそこから待つこと約8年。
ようやく「新劇場版・完結」を見届けられたことは良かった。
もはや何でも有りで笑った…。
途中からは監督やスタッフのメッセージを探りながら見ていた。惰性なのか、一生懸命作ってコレなのか、他に何か狙いがあるのか。
そんな中、観劇後レビューを見ていたら色んな感想がある中で、「エヴァをぶち壊してオタクに現実ぶつけた」みたいな感想が1番しっくりきた。
オタクへの仕打ちはさておき「ぶち壊した」というところは共感した。
それも「白けさせる、興醒めさせる」破戒の仕方だなと。
公開当初同じようなことを言われていた旧・劇場版は、意味不明さの中にも作品の世界観(ルールのような)を守った上での、秩序の中での意味不明さだった。だから考察のしがいもあった。でもQは展開云々以前に設定(エヴァの世界下でのルール)が破綻していて考察以前の話だった。
サードインパクト?だかの後にあのエヴァ破の世界から14年でのQの世界の技術ができる違和感(それを作る人は?)。
エヴァが2人乗りとか言い出す違和感。(エヴァは人の魂が宿っていてA10神経だかが必要でシンクロ率を必要とするものじゃないの??)
首がないのに動くとかエヴァの設定から起こり得なくね?ネルフには2人しかいないけど、エヴァとか使途みたいなのとか誰が作ってるの?あのピアノは何、とか、
エヴァなのにもはやエヴァでない…。そんなQからのシンエヴァだけども、同じような感想。前半は恥ずかしくて見れなかった。旧エヴァTV版26話のシンちゃんの妄想の世界の続き?かと思った。
登場人物の数年後だとか、子どもだとか、加地さんの子ども?石田彰声?ぇ
エヴァって元々、作中では2015年14才、しか情報がなくて他は回想シーンの2001年とか、季節は夏だけ、とかそういうなんていうか「去年」も「来年」も感じさせない、知りたい色々が伏せられてるところが魅力の1つだったように思う。
それが、登場人物の未来が描かれ、会話をするモブキャラが沢山出てきて稲作をするだとか、なんかエヴァで見たことのないフィールド(見たくなかったフィールド)。皆の求めていたエヴァをことごとく斬り捨て、安い茶番劇を見せつけてくることに衝撃を受けた…
加地さんの子どもという石田彰声の青年。「加地さんの子ども」で観劇者を魅せたいというより、安いメロドラマを見せてくるような気恥ずかしさで帰りたくなる。
悟空とチチの息子が生まれる、みたいなノリで登場人物中のカップリングをくっつけて2世ができてる(同人誌かよ!)、それをエヴァの世界観に持ち込んでることが根底を壊すような、何か尊厳を踏みにじるような破戒の仕方というか…。
ゲンドウの心の葛藤のくだりとかも…。ようやくゲンドウの事を知れた、とは思えず「ゲンドウのキャラ(設定)を冒涜した」と感じるところ。もはやギャグとして笑ってしまった。綾波レイの髪を伸ばすのももはやレイの設定を無視して崩してる。何やらカヲル君まで、「救済が必要なキャラ」のような描き方をしてしまいとにかく陳腐。
ことごとくキャラを汚している。
旧劇のTV版の(間に合わなかったからだっけ)絵コンテ状態の出し方、ではなく「エヴァと言えばこういうのでしょ!」と言わんばかりに過去のエヴァを真似して敢えて鉛筆描きの状態のものを出してるような感じゆにも萎えた…。
旧TV版、旧劇、色んな「エヴァっぽい感じ」のものをとりあえず総動員して、
「エヴァを壊してやった」感じがした。
価値を壊した。
それが、やる気のない壊し方でなく、「ズレながら(ズレたものを)一生懸命やる」(結果ぶち壊し)を狙ったような。。
破を見た時に、最初はエヴァらしくないと思ったけど「ああ、これが当時からエヴァで見たかったものなんだ!このエンタメ感!」と、気付きそのあと13回観にいった。
エヴァの世界観を守り、作品としてエヴァでありながらそれをポップエンタメにしても人を集める。それで良かったじゃん!破の終わりにやってた当初のQの予告内容をやり(「ついに集う運命を背負った子どもたち」ってやつ)、旧劇とは対照的に、一般大衆向けにしてもハイクオリティ、めちゃくちゃ面白い、さすが庵野監督!となりたかった。
エヴァスタッフの、皮肉を込めたのか才能の枯渇なのかはわからないけれど、さよならエヴァンゲリオン、となれるシンエヴァでした。(これが監督の目的?)
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