【河合】ノベル、イントロダクション
「訓令兵一名ご帰還です、お疲れ様です!」
扉を開けると、女の子数名の快活な声が響いた。
黒と緑を基調としたシックな店内。カウンター席のみの、十人も入れば満員御礼といった程の空間は狭すぎず広すぎず心地が良い。迷彩柄のジャケットを羽織った「キャスト」と呼ばれる女の子に案内され適当に座ると間も無く温かいおしぼりを手渡された。
「いらっしゃい。ココは初めて?」
そう言って私の手にアルコールスプレーをかける彼女の胸元には、「塾長 河合」と書かれた名札が留められている。
「このご時世だもの。やりすぎなくらい奇麗にしておかないとネ」
ただ一度手を拭いただけのおしぼりを下げ、新しいおしぼりを手渡される。こういったところに店の信頼というものが表れるのだろうか。
この店に来るのは初めてだと伝えると、システムやメニューの説明をしてくれた。どうやらここは軍隊のような店らしく階級制度に従って飲める飲み物が増えていくようなシステムらしい。
「アタシは塾長の河合。今日からあなたの上官よ、ヨロシクね」
塾長?と尋ねると、悪戯っぽく「河合塾」とだけ答えてくれた。なかなか洒落た役職だ。いささか軍隊っぽさに欠けるがそこはご愛嬌なのだろう。
「階級を上げるにはアタシとゲームして勝ったり、カラオケしたり……。要は楽しめばいいってワケ。ね、簡単でしょ?」
星の飛ぶようなウインクが実に眩しい、素敵な人だと思った。
「あなたは普段どんなお酒を飲むの?」
最初の階級で飲めるハイボールを作りながら彼女は質問をする。あまり慣れていないのか真剣に分量を測る姿は見ていて少し面白い。
ウイスキーが好きだと伝えると、「じゃあ早く階級を上げていろんなウイスキーを飲めるようにならなくっちゃ」と笑った。
「アタシね…、ウイスキーは苦手なの。どうしてかわかる?」
「なにか嫌な思い出でも?」
「フフッ。いやね、味覚が子どもなだけよ」
そう答える彼女の瞳はどこか寂しげで、その瞳は子どもと呼ぶには何もかもがあまりに映りすぎているような、そんな気がした。
バーで働いていてもお酒をあまり飲まない人はたくさんいる。現に私もブラックコーヒーは飲めないし、ウイスキーが飲めない程度で大人子どもの区別をつける事はないのではないだろうか。
「優しいのね。ウイスキーは苦手だけれど、ウイスキーを飲むあなたは好きになっちゃうかも」
そう言って彼女はやはり星の飛ぶような、眩しい笑みを見せてくれたのだった。
以上、河合でした。