現実逃避

お酒を飲んだり、インターネットを見まくったり、他にも色々あると思いますが、瞬間的な快楽に時間を使い、その行為を「現実逃避」と言うことが往々にしてあると思います。


この言葉から考えられるのは、困難に直面しているその時が”現実”であるということです。


大きな目標に挑むとき。
難しい問題に立ち向かうとき。
トラブルに見舞われたとき。

そんなときこそが現実であると考えることが出来ると思います。
(そしてまた快楽に耽る時、それは現実ではないとも言えるかもしれません。)


目標や問題と向き合うときに感じることは苦しいことの方が多いと思います。
(だから瞬間的な快楽に目線が移ってしまいます。)



そこからさらに解釈を広げると、(少し飛躍する感じはありますが、)現実とは苦なのだと思います。



とてもネガティブな解釈ではありますが、人生が苦であるというのは世界三大宗教である仏教でもそんなことを言ってます。
四苦八苦という四字熟語ももともとは仏教用語です。



現実を生きるということは苦を受け入れることだと思います。
苦しい、不快、困難、そんなものを認めて受け容れる必要があります。

現実が苦である以上、不快を遠ざけるのは限界があります。
一時的に回避したとしても、いつかはぶち当たります。
受け入れる勇気を持たなければただただ苦が増大するだけです。



そんな現実だからこそ、自身の無知を知り、知識を追求し、道徳を実践する。
ソクラテスの言葉を借りれば、「善く生きる」ことが大事なのだと思います。
 


困難ばかりです。
でも、現実を生きなければ退廃していってしまいます。

打倒ニヒリズム。
打倒デカダンス。
心の中にソクラテス。


現実、踏ん張っていきましょう。

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