移籍

FC大阪に移籍いたしました。

今回の移籍に関しまして話せる範囲で語らせていただきます。

今回の移籍が決定したのは12月第5週頃でした。
自分は代理人がいないので群馬退団後のチーム探しは非常に難航しました。

退団することを決めた11月中旬以降、自分がお世話になったサッカー関係の方々に連絡をして様々なクラブの強化部の方の連絡先をいただいたり、強化部へ自分をプッシュしてもらう、もしくはフリーのGKがいる旨を伝えてもらえるようお願いいたしました。
その流れの中でJ3のクラブに練習参加もさせていただきました。

もうGKの枠が空いていないから今回は見送らせていただくといった返答やJ1J3が終わるまでは待ってくれ、トライアウトが終わるまではなんとも言えない、というような返答が多かったです。

リーグ終了後すぐ動き出したのですが、J1J3はまだリーグが残っていたので確度の高い話はあまり出てきませんでした。
言うまでもなく移籍市場は上のカテゴリーのチームかつ経済的に大きなチームが強いので、主導権はJ1チームが握っていることになります。
J1が終わらない限りはJ2も動きが緩慢で、J3も同じような状況になります。

また、トライアウトにいる選手というのは契約満了かつ他クラブからのコンタクトがあまりないという状況の選手が多いのでクラブは比較的安価で契約をすることができます。
予算的な話からもこのトライアウト参加者から契約を進めるということもあるので、トライアウトが終わってからという返答というパターンもありました。

今回の退団以降の計画において最大の誤算はトライアウトに参加できなかったことです。
トライアウト参加資格者というのはチームから契約満了になった選手ということで、契約延長の提示を受けた上で退団した選手というのはトライアウトに参加できないということでした。

群馬に退団を伝えた後トライアウトに申し込んだ際にに選手会の方から連絡をいただきその旨を知りました。

代理人がいない自分にとっては最大のアピールチャンスだと考えていたので大誤算でした。

一応トライアウトの会場に行って自作の資料を配るということはしましたが、やはりプレーをしないとなかなか印象に残らないし認知をしてもらえていない感覚が強かったです。

いくつかのクラブには前向きに検討するというご返答をいただいたものの、時間が経って他の選手が決まってしまったという連絡をいただいたり、オファーを出すと言っていただいたものの数日後白紙に戻されるという展開もあり非常に難しい状況でした。

しかしながら最終的にはFC大阪さんにお声掛けいただき、話がまとまりました。

素晴らしい経験をさせていただいたと思います。

代理人を介さず自分の力で次のチームを探すにあたりタームを分けて計画を立て、起こりうる可能性のあるいろんな未来に向けて準備をして、湧いてくる様々な感情に向き合う。
それなりに負担はありましたが自分の人生の豊かさに繋がる体験でした。

2024年、新天地でも頑張ります。
サッカーができる日常に感謝して、尊いもののために頑張ります。

引き続きよろしくお願いいたします。


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