見出し画像

正論

正論なんて邪魔なだけだと思う。
もし正論(もしくは一般論というやつに)押しつぶされそうな人がいたら、どうか苦しまないで欲しい。
あえて乱暴な言葉を使わせていただくならば、正論なんてくそくらえ、と俺は言いたい。

だってそうじゃないか。
正論なんて既にわかっている話。その内容も、その正しさも。

わかったうえで葛藤している。
現状と正しい話の差異とか、自分の意思と一般論とのギャップとか。

正論を実践できるのならとっくにやっている。
一般論に納得してるならもはや意識に問題として表出すらしてこない。行動を終えている。


多くの本や多くの場面で、聞く力や傾聴力の重要性を説いている。
聞く耳を持つことの偉大さは自分も痛感しまくっている。
もちろん大事。これを否定する気は毛頭ない。

ただ一方で、あたかも優しさの仮面を被って正論を説いてくる人。安直な客観視で一般論を説いてくる人、そんな人の言葉に耳を貸す必要はあるのか。
無視してしまえ、と俺は思う。

自分の足、自分の心で自分の道を歩まなきゃいけない。
自分の筋を通さなければいけない。


もはや成功などどうでも良いとすら思う。
自分を貫けないのなら真の意味で敗北してしまう気がする。


もちろん、倫理や道徳がある。
それを逸脱した振る舞いは全く持って肯定されない。
その最低限のラインはきっちり明確に、強固に保たれなければいけない。

ただ逆に、それが保たれるならば、あとは自分の意志こそが最大の羅針盤であるべきだと思う。




もしも思い悩む人がいるのなら、俺はあなたの苦悩を尊重したいと思います。
葛藤し続ける勇気を俺は応援しています。
どうか、自分の筋を貫いてほしいと思います。
俺も俺を貫いていきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?