間違ってばかり

俺はたくさん間違えてきたし、多分これからもたっくさん間違えるのだろうと思う。
「終わってみればあれは間違えだったな」が、ものすごくたくさんある。

情けないし、申し訳ないと思う。

ただ、間違いを感じることはあっても、あんまり後悔はしてこなかった。(情けないとか申し訳ないという思いは後悔とはちょっと違う。)
間違ってばかりだけど、それでも後悔よりも、その時にはそれしかなかったんだと割り切れることの方が多かった。

「しょうがない。」
「しょうがなかったんだよ。」
「まあ。」
「そうだよ。」
「そうだよね。」

思う。


でも、割り切れることと間違いを全くもって水に流せることは同義じゃない。

割り切ったとて、間違いを、それに伴う感情を、受け止める作業はどうしても発生する。
なかったことにはできない。


今までのところ、受け止めて切れてきた。
間違いがもたらした結果もあふれ出る感情も、なんとか漏れずに収めてきてた。



でも今漏れそう。
超漏れそう。

だからこれを書いてる。

情けないね。
わかってる。


選択をし直す?
いや、それはない。
それはできない。
できないのも情けない。
力があればできたこと。


でも間違いを、受け止めきれない(かもしれない)。

八方塞がり感。

どうしたらいいですか神様。
どうにかしてくれませんかね神様。

「神は死んだ。」(心の中のニーチェが言う。)

自分でやるしかないんですよね。
自分で向き合うしかない。

救済はない。
自分の選択、自分で引き受けなければ。

申し訳ない。
申し訳ない。
背中に乗せて進むしかない。


ちょっと考えさせてください。

ちょっと考えさせてください。

進みますから、ちょっと考えさせてください。





p.s.

これ書いたのは投稿のだいぶ前です。
もう大丈夫。

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