概念形成史と個人的なオーダーの感覚

何かを語り始めるときに、「〜とは何か」とそもそもを問い始めることはままあるが、それについて何も知らないときに聞いてもわりとピンとこないことが多い。
ある程度「なんとなくこんなもんだよなあ」くらいの感覚を持っているものに対して「あらためて考えればどういうことなんだろう」と言うときに、ハマるときにハマる。

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例えば「日本美術史」について扱う本がある。

この本では1章「縄文美術」から時代を追って近現代までの日本美術を紹介していく。
ここで「まえがき」の部分でも述べられているが、「日本とは」「美術とは」と言うのは、鎖国が終わったあたりで西洋の分化と比較して、明治の為政者が国内で生産されたものの中から西洋の美術の文脈に載るよなものを「(日本)美術」と定義してできたものになる。

そもそも「美術」も「Fine Art」の訳語であって、彫刻や建築なども、西洋からのジャンル分けを借りてきて「これまで国内で生産したモノ」を再編成したものといえる。

他にも日本語や日本文化には明治以降、外国(というか近隣アジアではなく西洋)に比較するものとして「日本〇〇」あるいは「和○○」を作ってきた。
「和文書体」も明治の本木昌造の動きを調べると面白い。「欧文書体」あるいはその製造方法に対するものを日本に輸入してどう普及させるか、など。
あるいは「(日本における)デザイン」という概念でも様々な本で、独自に考えられていたりする。

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話はここから割と飛ぶ。

鎖国もそうだが、日本は良くも悪くも国内需要だけである程度は経済を回せるオーダーの人口がある。

ここで「日本○○」というのは「西洋と比較して」という話だった。
様々な大きな文化に対抗するものとしてのくくり方が「日本」だったといえる。

翻って個人的なオーダーの感覚だけ言うと、「日本」というくくりは何に使うにしてもちょっとデカすぎる。自分には「私達日本人」という主語は使えない。

自分が生まれ育ったところは、約3万人の人口の市だったが、5つくらいの小さなムラが50年ほど前に合併して市となったという歴史を持つ。
小学生だった頃は5つの昔のムラの単位で小中学校があり、アイデンティティとしては「〇〇市民」というよりはその中の1つの「□□地区出身」という感じだった(と今は思う)。

改めて考えるとこのあたりのニュアンスを引きずっているのか、おそらく「私達○○」でくくって話ができるのは1万くらいのオーダーがせいぜいではないか、ということだ。あくまで「自分は」ということだが。

東京で暮らすようになってからは「山形出身です」という自己紹介の機会も多いが、それはもちろん「(今いるところのくくりとしての)東京」に対しての都道府県のくくりに照らし合わせたところの便宜的なものとしては正しい。が、山形でも海のある部分と南の盆地のほうでは文化が違う。「山形って○○だよね」とイメージを言われても「そうですね」とは答えるが、自分も相手の言葉以上の実感は対して無いことが多い。「山形」というくくりもやはり大きい。

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また、話が飛ぶ。

ある地域をフィールドワークしていたときのことだ。
そこでは某与党の支持が大変強い地域で、政治と関係ない話をしているつもりでも、「あのときは先生(その地域の政治家)がこんなことをしてくれて」といちいち全てにエピソードがある。

個人的には今の某与党の政策に疑問もあり、なんでこんな政党に投票するのだと思うところもある。が、その人達と他愛ないことで話せば、当たり前だが「特に偏った思想の持ち主」という感じでも無い。
結局、上に書いたような個人それぞれのオーダーの感覚があって、地元で良くしてくれる政治家に投票する、という感じだろう。

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「〇〇とは何か」という問いに対して、
・すでにある何かの比較としてのまとまりの単位として成立する大きさ
という項と、
・身近なところ、知り合いの知り合いくらいのオーダーから立ち上がる現実感
という項があり、ふたつがねじれていたとしても、それぞれの文脈上は正しい、というのは成立しそうな気がする。
もちろん個々の問題や文脈によって結果も変わると思うが、例えばTwitterなどで「自分の意見と違うことを言っていて腹が立つ」というのも、自分の立ち位置がはっきりしていて、他の立場から考える想像力の欠如しているのだろうなあ、とぼんやりは思うが、合っているかは知らない。



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