毒親というほどでもない

わたしは父が嫌いである。老後の世話をする気も毛頭ない。しかし恨んでいるかと言われるとそこまででもない。暴力を受けたわけでもないし、虐げられたわけでもない。ただ感謝もないというだけの話だ。

父の仕事は出張が多く、休みの日も趣味でやっているバンドの練習でスタジオに行くため、家にはほとんどいなかった。

わたしが子供の頃、父が母のことを「あいつは高卒だからな笑」と言っていた。当時わたしは小学生で学歴に対してなにも考えがなかったが、それでもなんとなく嫌だったことを覚えている。

高学年の頃、リビングで宿題をしていたらわたしを挟んだ状態で夫婦喧嘩が始まった。内容は覚えていないが、父が手に持っていたコップを壁に投げつけ、コップは割れ、中に入っていた水がわたしの宿題にかかった。父が怒っていることやコップが割れたことが怖かったのか、関係のない自分が巻き込まれたことに腹を立てたのか、大声で泣いた記憶がある。

中学のころ、父と車に乗っていたらバイクに煽り運転をされ、腹を立てた父がそのバイクを追いかけまわし、赤信号で停止したタイミングで車を降り大声で怒鳴ったことがあった。恥ずかしかった。

父はことあるごとに「俺の金で生活をしている」と家族を見下していた。

高校生の時に父が突然一軒家を購入し、わたしに「俺が定年になったらお前らがローンを払うんだ」と言ってきた。わたしは父が老後に子供に養ってもらうための城を建てたのだと思った。だからわたしはその頃から独り立ちができるよう貯金を始めた。ゆくゆくは母を実家(叔母が住む祖母の家)に住まわせ、この家を売り飛ばせるようにしなくてはならない。

新居に住み始めてすぐ、夜中に父の生活音がうるさいと兄が注意した。父はお前らのドアを閉める音もうるさい!と言い返し喧嘩が始まった。母がその声を聞き、その喧嘩の声がうるさい、今やるなと怒鳴った。その通りだと思ったが、怒った父は言い返すのをやめなかった。わたしは近所にも聞こえているのかと思ったら居た堪れず「恥ずかしいから本当にやめて」と頼んだ。

父方の祖父母が他界した。父は実家に住むようになり、我が家は快適になった。

母は自分が死んでもあいつとは同じ墓に入れないでくれとわたしに頼むようになった。

母が、父のことを「わたしは血が繋がってないけど、お前は血が繋がってるから、アイツの老後はお前らに任せる」と言う。わたしはずるいと思った。わたしにだって父と他人になる権利はあるはずだ。

「イクメン」という言葉をテレビで聞いた時に、母に父は子育てをしていたのかを聞いてみたことがある。

「育てられた記憶ある?」と言われた。

当然ない。

母になぜ離婚しないのかと聞いた。子育てもせずに1人でのうのうと生きさせてはやらないと決めたのだと言っていた。

たしかにな。

わたしは知らなかったのだが、父はギャンブラーだったらしい。生活費にも手を出し、それを注意するとお前が働けばいいと言われたのだと母は言っていた。だから絶対に言う通りにしてやるものかと専業主婦を貫いたとも言っていた。

わたしの性格は母似なのだと思った。

そして同時に、母のようにはなりたくないなと思った。

母のように強く生き、母のように子供と自分のために復讐し続ける人生にはしたくない。

1人で生きられるようにならなくては。

貰えるものは貰っておきたい