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タナトフォビアと死生観。

まず、タナトフォビアとは。

端的に言えば死恐怖症のことである。
それを踏まえた上で話します。


とある大学の講義で、唐突に死生観の話になった。

「でも皆ってまだ18~19歳じゃん、まだまだ死ぬとか長生きとか考えないよねえ笑」
なんて言い出す教授。

うっそだろ。
大学生って、というか大学生に限らず、
皆長生きしたいとか死にたくないとか抱えているものではないのか。
押し寄せる疑念。
いやわからん、希死念慮を抱いていたりする人もかなり見てきているので、
一概に皆が生に縋っているかと言われれば否であろう。

でも皆考えるものだと私は決めつけていた。
だからこそ、教授のその発言に私は耳を疑った。

じゃあ何故私がそう思ったのか。
ここで、先述の単語が飛び出すわけで。


私はタナトフォビア患者である。
自称ではあるが。

小学生だった当時の私は、
寝る直前、唐突に漠然とした不安に襲われていた。
母親に縋って、「死にたくない」と連呼していた。

夜、寝る前ともなると、
やはりダウナーになって不安に押しつぶされそうになること、
君にもあると思う。
小学生のころの私は、
その不安が「死ぬことへの恐怖」として表出されていた。
酷い時には、涙を流したり過呼吸になったり。
まともに寝れない日もザラにあった。

「死んだ後、人ってどうなってしまうのだろうか。」とか、
「私はどうなってしまうのか。」みたいに、
「いつか終わりを迎えること」に対して、
漠然とした、それも逃れようのない事象への恐怖が、
幼い私に何度も襲い掛かってきた。

今はというと、
昔ほどの頻度でも強さでもなくなってはいるが、
まだ症状が出なくなったわけではない。
縋る武器がスマホになったというだけで、
まだまだしんどくなる時もある。
就寝する旨のツイートをした後にふと起きてきたら、
ああ、また症状が出たんだなと思っといてください。
事実、この文章を書いている最中も、
昔のことを思い出しては苦しくなるということの繰り返しで、
最早自分を半分殺めながら書いている。


それと繋がっているのかはさておき、
私は所謂グロテスクなコンテンツも苦手です。
人の血を見るだけでも吐き気を催します。

学生時代の保健の授業は最悪でした。
血管が云々だとか、
妊娠中の母体の働きがどうとか、
常に吐きそうで、手に力が入りませんでした。
伝わってほしい。

誰ですか?
生物のカリキュラムでイカの解剖やるとかいった人は。
あれも本当にしんどかったです。
休まなかった私、偉い。


タナトフォビアと関連するワードとして、
「ネクロフォビア」というのがある。
端的に言えば、
タナトフォビアは自分の死を怖がるのに対し、
ネクロフォビアは他人の死を怖がるという違いがある。

結論として、
他人の死はそこまで怖くないかなと私は思っている。
勿論相対的に見てではあるが。

基本的に私は、
周りの誰かが自傷行為だったりに走るのを止めない質の人だったりする。
それは多分、私がネクロフォビアじゃないから。
もしネクロフォビアならば、自傷行為がエスカレートした時に、
それが他人の死に繋がると考えて止めたりはしそう。

でも先述の通り、
私はグロ耐性がミジンコちゃんなのである。
距離感をミスると自滅してしまう。


さて。
そんな私なので、勿論長生きしたいと思っている。
押し寄せる死の恐怖から逃げたいから。
死ぬとか長生きとか、考えないわけがない。
だから私は先ほどの教授の言葉に耳を疑ったのである。

そんな中。
「○○君(クラスメイト)は何歳まで生きたいの?」
なんて問う教授。

彼は言った。
「40~50で死にたいですね。」と。


またしても耳を疑った。
そういう人もいるだろうと思っていたが、
まさかこんな身近にいて、
それを教授の前で躊躇いもなく言えてしまうなんて。
私は驚いた。

「えっ、面白いね~。どういうこと?」と問う教授。
「すぐに結婚して、40くらいで退職して、後は遊んでとっとと死にたいです。」なんて言う彼。


!?!?!?
いやいやどういうことだよ。

その理由を彼に問い詰めればよかったなと今になって心底思うが、
それはやむなし。
ここは私なりの解釈を広げようと思う。

高齢者になるにつれ、
明らかに不自由は増える。
人に迷惑をかけてしまうかもしれない。
それがたとえ無自覚でも。

「衰えから逃れる為の死」って思うと、
少し腑に落ちる。
君はどうだろうか。死生観が一致していたら興味深い。

私もわかる。老いたくはない。
いずれ老いて、知らず知らずのうちに人に迷惑をかけている自分が、
甚だ許せない気がしてならない。
そう思うと、そうなる前におさらばしてしまいたいと思うのは同意できる。

川端康成もこう言う。
「人間は、みんなに愛されているうちに消えるのが一番だ」と。

間違いないと思う。私も同意できる。

でも、
どんなに死にたくなっても、
間近で死に直面すると生に縋りだすといった話もある。
ゴールデンゲートブリッジから飛び降りた人が水面につくまでの間に、
「やっぱり生きたいっ…!」と思い、
その瞬間体勢を変え何とか生き延びたなんて話を耳にしたことがある。


生と死って、なんなんだろうか。
改めて考えてみると、難解なことばかり。
「なんで貴方は生きたいの?」と問われても、
「死ぬのが怖いから」の一言しか返せない私がちっぽけに見えるほど、
この世界には色んな死生観が跋扈している。
この話題はあまりに繊細で、
逆に皆の答えが本当に様々だと思う。
だからこそ、一度向き合ってみたいかもしれない。
もしかしたら私がしんどくなってしまったりするかもしれないが、
それでも一度向き合ってみると、
新しい価値観と出会えるかもしれない。

私は変わりたい。
勿論変える手助けをしてくれるのは皆だが、
変える判断を下すのはまぎれもない私自身だ。
色んな価値観を得て、それに対して真剣に向き合ってみたい。
真剣に考察したい。
その手助けを、君がしてくれたら嬉しいな。

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