片時雨、時に恍惚。
不意なる思いつきで、個展に行った。
数年前から存じてはいた、
イラストレーター・しぐれういさん。
ホロライブ所属、大空スバルさんの生みの親であり、
私自身そこからういさんのことを知った。
VTuberに関しては、数年前から広く浅くで触れていた。
切り抜きや歌がメイン。たまに配信を見たり。
限られた時間の中で、配信全てを追うことなんぞ不可能だなと割り切っており、
抜粋された何かや、手軽に触れられる作品を味わう程度のミーハーでしかなかった。
勿論ういさんのこともそうだった。
「推し」ができるきっかけも、切り抜きや歌になる。
私も一応何人かはVTuberの推しを挙げられるが、
ういさんのことをそこまで好きかと言われると、
そこまで熱意を持って推していないように自分で思っていた。
でも、当人の絵があることが当たり前で、
気づけば歌も沢山聴いていて、
1stアルバムの曲にも好きな曲が出来ていて、
知らず知らずのうちにのめり込んでいた。
声で好きになったかと言われると、
私が度々明示している声の好みとは違う声をしているし、
性格で好きになったかと言われると、
恐らくそんなこともなかったりする。
そんな中で発表された、
新曲「勝手に生きましょ」。
作詞作曲をいよわさんが担当しており、
いよわさんの大ファンである私は既に頭を抱えていた訳だが。
歌詞、歌声、表現、リズム、メロディ、展開。
全てが胸に刺さってくれた。射止めてくれた。
一瞬で大好きになった。柄にもなく感動してしまった。
イラストレーターを本業にしつつ、
VTuberとしての活動にも多大な労力を注ぎ込んでいる、
そんな彼女だから表現できる一曲。
私はそんな本楽曲にただただ惹かれてしまった。
そんな中で、都内に用があって出かけていた時、
ふと個展の存在を思いだし、すぐさま赴いたというわけである。
個展「雨を手繰る」。
ういさんのVTuberデビュー5周年記念プロジェクトの一つとして8月末より開催されていた。
絵というものは、表現者と鑑賞者に分かれる。
表現者の叙述形態、普段の思考回路、性格、様々な要素を、
絵を通して鑑賞者に伝えること。
勿論全てが全て伝わるとは限らないし、
意図せず伝わってしまう情報だってきっとある。
ましてや今回の場合だと表現者のことなんて表向きの姿しか知らない。
そんな中で、鑑賞者が如何に読み取り、受け取り、
自分の感情や思考回路に落とし込むことができるか。
不特定多数の鑑賞者。無論様々な人間が存在する。
「しぐれういという存在」からここに辿り着いたか、
或いは「しぐれういが生み出す絵」からここに辿り着いたかでも、
大きな差異がある。
私は終始、醸し出される異様な雰囲気に圧倒されていた。
明らかに異質。呑まれてしまうような、溺れてしまうような。
そんな空間が広がっていた。
度肝を抜かれたのは、2Dや3Dによるトリックアート。
個展というのは、自身の更なる体現。
普段易々と表すことのできない自我を跳躍させる場なのだと、私は感じた。
「雨」という一文字が表す情景、感情、思考に私はよく惹かれる。
普段陽の照らす街並みを覆う灰色。
無機質で、でもどこか哀愁漂う雨音。
そんな自然現象から連想される心情が、私はとっても好き。
雨をモチーフにした音楽ユニットに心を奪われた過去もあった。
あんなに普段配信などでリスナーさんとやりあっていたり、
電波曲で大バズりした人物がモチーフにする「雨」には、
日頃の姿からのギャップがあるのと同時に、
彼女が秘めているもの、密かに抱いているものの顕出があった。
私はそこにどうしようもなく惹かれてしまった。
時として私はこのような衝動に誘引される。
当然グッズも購入した。
特に、木下龍也さんとのコラボ作品に惚れ込んでしまい、
栞とアクリルキーホルダーを購入した。
首尾一貫、私は空間の雰囲気の虜だった。
まるで水中にいるかのような、
少し息苦しく、切なく、妖艶で、でもどこか暖かく、
されど鬱屈で、美しく、そして感じる寂寥感。
その全てに包まれていたあの時間を、
幸せと呼ぶ以外なんと言い表せば良いのだろうか。
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