「いい人間」の教科書の話

あんまり観劇記録としてnoteを使うつもりはないんだけど、まあ、自分の人生の振り返りとしてちょうどいいから整理しようと思う。

舞台『いい人間の教科書。』(以下「イイショ」)を見てきた。普通に面白かったし、みんなカッコよかったし、チケット代の価値はあったけど、周りのお客さんみたいに泣いたり、Twitterで深い感想書いたりはできなかった。
私はあくまで観客で、舞台上の5人は「他の4人を蹴落としてでも自分が一番『いい人間』と成らなきゃいけない」プレッシャーがあったから、感じ方が違うのは理解してる。

私自身、生きていく上での選択や善悪・快不快の基準はいくつかある。そのうちイイショと関係がありそうなものを3つ挙げる。

1.自分の選択には、自分で責任を持つ

「今日のお昼ご飯、パスタにするか蕎麦にするか」「この人と結婚するか、しないか」「部活動、何しよう」「明日は髪を巻くか、ストレートにするか」
人生は常に選択をし続けて、“選ばなかったほう”の自分と今の本物の自分を比べ続けるものだ。私は人生で逃げの選択もたくさん採ってきたけど、今の私の周りにいる人たちとは、私の選択が一つでも違っていたら出会って仲良くなれてなかったから私は選択を間違えたことはない、と思って生きている。
自分に自信がめちゃくちゃあるわけではなく、周りの人や環境に自信がある。
自分で選択できなかったことの結果、悔しかったり悲しかったり、要は人生に深い傷を追ってしまうこともあったけど、後悔が1つもない生き方なんてできないから、「これでいいのだ」と受け入れる気持ちもある。

2.若者が傷付かないように頑張るのが大人の役割

「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と安易に言う大人は全員詐欺師だと思う。大人は、歳を重ねた分たくさん失敗してる。同じ失敗を、自分で繰り返さないことも大切だけど、若者にもその失敗をさせないことも大切だと思う。若者の踏み台になる覚悟をもつこと。
踏み台に唾を吐きかけるカスみたいな若者に対しては、しっかり言い聞かせるのも大人の仕事。言い聞かせても2割には絶対効果がないし、6割は言い聞かせる大人がダメだと意味がない。

3.失った物ばかり数えるな、無いものは無い

私はONE PIECEだとロブルッチが好き。
生きていく上で、持ってたのに失くしたもの・欲しかったけど得られなかったものはたくさんある。それらを持っている人に対して、羨ましいとか嫉妬の感情ももちろんある。
これは私の持論なんだけど、本当にわたしの人生に必要なものであればいつか絶対に入手の機会が与えられる。だから、そんなに落ち込む必要はない。


他にも生きる上での基準はあるけど、こういう感じで生きてる人間と、イイショの噛み合わせが悪すぎるのは観劇した人ならご理解いただけると思う。
とはいえ、つまんなかったかと言えばそんなことないし、あの距離でカッコいいダンス観れたのは爆沸き丸だったから良かった。舞台上の振動も尻に伝わったし。
ただ一つだけホントに申し訳ないんだけど、パンフレットのインタビューページのレイアウトが文字詰め込みすぎて読みづらく、公演期間中には読み終わらなかったので、ちょこちょこ時間を見つけて読み返そうと思う。

前時代的な「コンプラなんかくそくらえー!」の表現をしてもいいと思うが、それならそれでちゃんと開き直ったり覚悟決めたりしてほしい。
創作物ってそういうモンだと思うから。