幸せなら態度で示そうよ(圧力)

ここのところ、「幸せ」ってなんだろなと考えるようになった。というのも、自分が幸せを感じているからだろう。

「好き」という感情は、たとえば100本のバラ。たとえば君の代わり雨に濡れる。たとえば手のぬくもり。
そんなふうに、外部から観測できるように表現ができる。

でも、「幸せ」という感情の表現、と考えると途端に違和感が強くなる。手を叩く?足鳴らす?
本当に?

私が感じている「幸せ」の感情。手を叩いて足を鳴らしてみても、なんか違うように思ってしまう。
もっともっと、抽象的で本質的なものなんだ。幸せって。

笑う、顔。叩く、手。鳴らす、足。
どこにあるのかわからない「心」以外の場所から放出された瞬間、幸せは姿を変えるような感覚。

嬉しい時には泣いてもいい。
その涙は幸せではなく嬉しさであり喜びだ。
痛みや苦しみも多少含んでいる。少なくともわたしの幸せには。

2023年中に何か見つかりそうにないので、取り敢えず2024年の目標に、「幸せとは何か」を考える、を入れようと思う。
もう11月だし、鬼も笑わないでしょう。