見出し画像

「ダフニスとクロエ」とか

Apple Musicで適当なクラシックをかけながらブログを書こうと思い、今はL.バーンスタイン指揮、NYフィルの「ダフニスとクロエ」を流している。ちょっと前に買ったサウンドバーの音響を試すために「ウエスト・サイド・ストーリー」をAmazonプライムで流していたから目に入ったのだろう。そもそもバーンスタインとダフクロという組み合わせが珍しいとも思った。序曲の盛り上がったところで派手な感じがあり、やはりバーンスタインだななどと思ったりもした。私は「ダフニスとクロエ」が好きで、というのも高校時代、吹奏楽コンクールでこの曲を演奏したのがきっかけで、当時はクリュイタンス×パリ音楽院管弦楽団のを確かAmazonで買ったのではなかっただろうか。クラシックのCDをよく買っていたのは高校時代だったと思う。駅の近くにある、階段を登ったところに小さな店構えの楽器店があり、その店で買った名盤ブックガイドはまだ家にある。最近亡くなった小澤征爾が、ちょうどウィーン国立歌劇場の音楽監督になった頃だったと思う。吹奏楽部でいわゆる「オケ編」をするようになってからクラシックを聴き始めた私とは違い、部長をしていたトロンボーンの好青年はブルックナーかマーラーだか何だかを既に聞いていて、クラシック好きな世界史の老教師と話が合っていたことを覚えている。僕はなんの楽器をやったんだっけ、まったく覚えていない。それでも、高校2年生という多感な時期だっただからか、この曲は今でも好きな曲だ。そもそもブログを書くために音楽を流したのに、その半分がダフクロの話というのは本末転倒な気もするけれど、だからと言って書きたいことが合ったわけではなく、温めた紹興酒を横に書いているだけなのだから。でも、こう書いてふと寂しくなる。金原ひとみのエッセイをおとついに読み返したのだけれど、読んだ当時の感想、そのネガティブさゆえの一種のおかしさと、自身を振り返ったときのちょっとした安心感を、ドッグイヤーしたところを読んだらすぐに思い返すことができた。Amazonのレビューを見ると、同じような感想がいくつかあり、不思議に思った。というのは、そう思うことは独特の個の感情だとおもったけれど、そうではなかったからで。今度、その感想を話すまえに、少し言語化したいなと考えている部分のひとつなのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?