見出し画像

ためになること、甲斐があること

ここ最近で、ふたりの人の仕事を手伝った。
ひとりは、つきっきりでヒアリングを行い、良いところを引き出そうとマンツーマンで行った。私の悪いところは惚れ込んでしまうとやり過ぎてしまうところなのだけれども、ただ自分ではそれに喜びも感じている。
もうひとりは、既に上司のトレーナーがいるところのフォローで、そちらの上司はガンガンに詰めながら相手に話していくタイプ。そんな感じなのであまり入る隙もないが、ときどき意見する。すこし厳しさはあるけれども、打合せ後にふたりで「できなくてもやらせないと成長しないから」という話を聞き、そこに思いが確かにあることを実感し、また納得もした。組織としてやっていくにはそういったことも必要だと思う。
私は、前者のひとの成長を逃しているのかもしれない、けっきょくのところ機会損失をしているかもしれない、と感じた。おそらく、半ばそれはただしいのだろう。むしろ、その意味で私のやり方は、その人のためになっているようで、なっていない。上司と話したあと、そんなことを考えていた。
遅くまで仕事をやったのち、帰ろうとしたときにマンツーマンでやった人から声がかかって、アウトプットを見せてもらった。それは私の想定より良い感じで仕上がっていて、嬉しくなった。年上の人だけど、とてもほめた。帰りも嬉しくてマスク越しににやにやしていた。甲斐があった。
そう思ったとき、ためになることより、甲斐があることなら、自分を責めずに納得できると思った。「情けは人のためならず」、己のやり甲斐のためにやっているのであれば、そして互いのなかで喜びをともにし、少なくとも自己意識のなかでその人じしんの良さを引き出せたと感じられたのであれば、それでよいではないか。そんなことを思った。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?