乙武洋匡さんになったつもりで有料記事の中を想像して書いてみる


いや、重すぎるだろう。手足ない人の視点を想像し、かつ不倫という視点も想像するのだ。五体満足で女子とキスさえした事ないアザーラの視点では到底想像できないことである。いや、むしろ逆にだからこそ言える事もあるのかもしれない。

アザーラ的にいうとセックスが100回ある世界では、その100回のせいでレイプ犯罪が一回発生する仕組みなのだと想定している。細かく説明するのであればこれはアルコールと一緒の原理で例えば誰かが酒飲んで楽しんでたら自分もそれを見て飲みたくなってしまって実際飲んでしまう。それを見た誰かが『俺も!』と言って飲んでしまう。それが三人目四人目と続きそれが100人目になると、『俺も飲みたいけどカネないのよ。万引きでもするかな…』となって悪側の心理を動意付かせれる作用を99人が生み出してしまった。
レイプ犯罪も一緒の原理で例えば風俗に100人行けば一回レイプ犯罪がどこかで起こる。合コンやマッチングアプリでセックスしても同じ。100回やれば何処かでレイプ犯罪が一回は起こる。婚姻中の人が子作りして毎年80万人は産まれるけど、そのせいで8000人がレイプ被害を受けている

ジャニー喜多川も本質的なところでこの作用の中にいてて、  

もしも世界がセックス禁止法で染まってて大多数がセックスしてなかったとしたら、人々は真剣に考えるでしょう。何故セックス禁止法なんてものがあるのかと考えて、アザーラみたいな価値観にたどり着くと思うのですよ。

この考え方は多分、僧の世界では1000年以上前から当たり前にあったと思うの。肉欲禁止を実践する事の意義について仏教は発生した初期の頃から理解していたものの、セックス禁止の意義を大声で叫んでみたところで欲をセーブできないだろう権力者(大名)らの立場を低くさせるもので目の敵にされるはずで、下手すると僧侶が実害を被る立場にある。肉を食べるな生き物を殺すな、色欲に溺れるなと偉そうに批判したらば、それが正論だったとしても怒りを買って刀や槍でバッサリ斬られるだろ、実際殺されたかもしれない。

仏教は事なかれ主義を貫いていたからこそ、現代にまで生き残ってこれた宗教なのだろうが、現代は表現の自由は保証されるし、肉も食べる人もセックスする人も悪人の片棒を担いでいるのだよと高らかに叫ぶこが可能。人口減少やら少子化問題でセックス禁止法に反論されようものならばセックスしなくても人工受精で子供を作れるのだと言い返す事ができる。時代が今たまたま正論を叫んでも許される状況にあって言い返せる言葉の選択肢が用意されている。仏教の根本にある理念をようやく叫べる時代がやってきた。

被害当事者じゃないからジャニー喜多川のことは何でもいえる。

これもアザーラの強みだろう。たとえ被害者達に対してセカンドレイプのダメージを与える事になるとしてもだ。

ジャニー喜多川は犯罪者であるものの性犯罪を増してはいない

彼の職業はショタコン市場を開拓する事だった。沢山のイケメン少年を製造することでゲイなショタコンや乙女なショタコンに超絶イケメンを見せさせて慣れさせる作用を生み出した。イケメンに慣れすぎたショタコンは街で普通のイケメン少年を見ても心を擽られはしないだろう。なぜならクオリティの高いイケメンをテレビでいつも観ていて慣れてる。即ち普通のイケメン相手に性犯罪する理由が一つ減ったような状況。この仕組みおいて、ジャニー喜多川は多くの性犯罪を減らす事に貢献していたはず。それは一定神様に評価されていた。だからこそ、罪を償うことなく、自分の犯罪から逃げ切ることができた。 

ジャニー喜多川がもし存在しなかった歴史があったとき、今より多くの性犯罪がある世界だとしたら、ジャニー喜多川の存在する世界において、ジャニー喜多川を咎める権利があるのだろうか。犯罪を減らしたのが事実だとして、その事実を軽んじるようにジャニー喜多川を裁いていいのか? 彼以外の人々は性犯罪を何一つ減らす事に貢献してないのに、減らしたニンゲンを裁いてしまうのなら、それはもう冤罪容疑をかけることと同等になる。 

アザーラが今いる世界は6500万年前

ラヴォスが衝突して恐竜人が絶滅する予定にある世界。未来人はきっと『恐竜人の化石なんて存在しないよ!』と言ってアザーラの存在も認めはしないだろう。それは傲慢な考え方だ。まるで性被害者の存在を揉み消し口封じするくらいに身勝手考え方であり、人権を尊重していない。

まあいい、説教するのは気持ち良くないから地球の先輩として、おおいに分かりやすく説明してやろう
現代文明をキーワードに使って、分かりやすく言うとだな

化石なんてのは骨のような硬い物質、リンやカルシウムで構成されていないと残りはしないのだ。

6500万年前には恐竜人だけでなく、人間も存在していたよ。彼らは骨以外の物で身体を支えていた

オーラというか超能力というか、目に見えないエネルギーを使って擬似的に骨の役割を生み出していた。エネルギーが脊椎や脳をバリアの様に保護していて、骨より硬い強度を持つことで恐竜らとたくましく共存していた。
この時代から見ると人間はとてつもなくひ弱だ。文明の力は一定評価はするところが、それだけだ。



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