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愛も性欲も同じという人と、別物だと思う人との見えてる世界はどれ程異なるのか?


A.性欲が独立してありつつも、愛が性欲にもリンクしている二重構造型の人間。愛と性欲が同じなのか別物なのか判断できない人

B.性欲が独立しては存在せず、愛と性欲がリンクして存在している人。多分Aの価値観もCの価値観も理解できない

C.性欲が独立してあるだけの人。

今更に思う、ベッキーの不倫はABCのどれなのか


性欲メインで不倫できる人は性交に飽きがある事も知ってるはずで制御もでき、不倫問題が表面化発展しにくいはず。もしベッキーがC側であった場合は、自制心が弱いか、性格が悪いか、またはそれらが混合している

ベッキーがBであるなら…

Cのような人種を理解(知覚)できないから、浮気に利用されるという発想自体ができない。
Bが、もしも愛とは真実に一つしかないという考えであるならば、、自身が浮気に利用されてるとは思うことはなく、本気で愛されると思い込む要素になるだろう。浮気や不倫の概念を罪悪の基準で判断できず、魂において真実の愛とは一つしかないので、自分が愛された結果のみに着目し真実の愛運命のように誇張して解釈するかもしれない。その流れだと奥さんという浮気された存在は元々愛される価値のない存在で、それなりの理由があるのだと判断したくなる。浮気の概念が世界には存在しない(少なくともBの中では)からこそ、ゲスの極み乙女が奥さんの悪口を言うとしたら、100%の同調あるいは150%同調しかねずLINEのような暴言を発露してしまうのも、ある意味理解できる。

しかしベッキーの場合、芸能人としての立場から自尊心高まり過ぎたり、自信過剰になりやすい立場にもありうるとして
そこに溺れるとしたら、それだけでABCどのパターンでも、当てはまりそうな



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