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所見を書いていて思ったこと

◯所見を書くスピードが上がった

 今年で3年目になるが、当然子どもたちの所見を書くのも3年目になる。ここ最近所見を書いていて感じることがあったので今回はそのことについて振り返っていく。
 1年目と2年目はどちらも32人学級であったのに対して今年度は36人学級をもたせていただいている。人数は前回よりも増えたが、今回は今までよりもスラスラ書けた。それぞれの子どもに「こんなこと頑張っていたな」「この事について書いてあげたいな」と思うことが増え、あまり手が止まらずに所見が書けた印象がある。今年度は1年生ということもあり、小さなことでもできるようになったことが見えやすく、成長が見取りやすいということもあるかもしれない。ただ、それ以上に今まで以上に子どものことをよく見れるようになっているのかもしれない。今までであれば、見逃していた部分を今年度は見つけられているのかもしれない。

◯なぜ、子どもの良いところに気づけるようになったのか

 1年生だからという理由は大きいと思う。今まで4年生、5年生であれば子どもたちに任せて当たり前のことが多くあった。しかし、今年度はそうはいかない。多くのことを教師が行なっていることが多いと感じる。だからこそ、子どもたちに挑戦させてみた時に「こんなこともできるのか!」と感じることが多い。高学年の児童ならできて当たり前だと思っていたことが1年生だと感心してしまう。だからこそ、子どもたちの頑張りを見つけやすいのだと思う。

◯まだまだ子どものことを見れていない

 そう考えると、子どものたちのことをよく見れているは言えないと思う。しかもその根拠が「所見をスラスラ書けた」では弱いと思う。所見で書けるのは子どものエピソードの1つや2つである。なんならスラスラ書けたと言っても、子どもによっては手が止まった。そのように考えるとまだまだ子どものことを見ることができていないと思った。しかも、前述した1年生という要因が大きいのであれば尚更であると思う。他の学年を来年もったら書けない。つまり、子どものことを見取れていないことになる。

◯どうしたら子どものことをよく見れるか

 では、どうしたら子どもたちのことをよく見れるか。36人を1人で見るのだから限界はあると思う。ただ、より多くの子どもたちの良さや頑張りを見取ってあげたい。だからこそ、日々の子どもの見取りを記録しておくことが大切であると思う。放課後にその日にあった子どもたちの良かったことや頑張ったことをメモに記録してためておく。これが理想ではあるが、正直継続する自信はない。ただ、昨年度から毎週、振り返りを書くようになってからは子どもたちのことや自分自身が感じたことをメモして残しておく習慣はついたような気がする。(それもスラスラ書けるようになった要因かもしれない。)
 他にはアウトプットする方法である。今年度、同じ学年の先生と放課後、子どもたちのことを話す時間が多い。「今日〇〇くんがこんな事できるようになったです」などと些細な喜びの共有である。そうやって人に話をすると、そのエピソードが記憶に定着しやすいと思うだからこそ、これからもたくさんアウトプットをいていきたい。あとは、今年度から実践してみたのだが、クロームブックでの撮影である。体育などの評価を見取る時にはよく活用していたのだが、それ以外のところでも活用することで後で見返すことができる。どんな時間でもいいと思う。授業中はもちろん、掃除や給食の時間など。そしてそのような記録は子どもたちと一緒に見返してもいいと思う。自分たちを客観的に見て振り返ることも大切だと思う。1学期と2学期と見比べて自分たちの変化を感じてもいいだろうし。少し話はそれたが、子どもの良さや頑張りにその場で気づけても覚えていないと意味がない。だからこそ、記録に残しておくというのは一つ有効な手段であると感じた。

◯所見を書くための見取りではない。

 所見を書いていて感じたことを振り返ってきたが、子どもの良さや頑張りを見取ることは所見を書くためのものではない。目的がそこになってしまってはいけないと思う。あくまで子どもたちの良さや頑張りに気づき、新たな一面を知る。子どものことをよく知ることが目的であると思う。その結果、所見がスラスラ書けたり、個別面談などで保護者の方に話したりすることができるという順序だと思う。自分の理想は所見を書く時にどのエピソードを書こうか迷うくらい子どもたちの良さや頑張りに気づけている状態である。そのように感じることができたときに本当に子どものことをよく見れるようになっていると言えるのかもしれない。

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