早稲田大学大学院人間科学研究科:『考古学特論』レポート

 こちらは2009年、早稲田大学大学院人間科学研究科修士課程在学中に受講した『考古学特論』の期末レポートです。課題は「考古学に関する論文の書評を記せ」というもので、大胆にも、この科目を担当していたT教授こと谷川章雄教授(現・学部長)の論文を採りあげてしまいました。

 大学院に進もうかどうしようか少し悩んでいたとき、早稲田大学人間科学部eスクールで指導を受ける教授に、「大学院での研究ってどんなことをするんですか?」と質問したことがあります。

「基本は先行文献の読み込みとフィールドワークだね。そこから研究は始まる」との返事を聞いて、ピンとひらめきました。

「先行文献の読み込みとフィールドワークって、それはつまり、資料調べと取材じゃないか!」ということをです。

 マンガの仕事でも小説の仕事でも、スタートは資料調べと取材から。資料として本を読むことは、もう空気を吸うように自然なことでしたので、「資料調べと取材だったらできそうだ」と安心し、大学院に進むことを決めました(アカデミックな分野では、史料と資料の意味が違ってきます)。

 eスクールでも大学院修士課程でも『考古学』を履修しましたが、これが楽しいのは、やはり史資料を調べられるから。とくに早稲田大学在学中は、膨大な蔵書を持つ中央図書館に通っては、いくたびも「至福の時間」を過ごすことができました。

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「考古学特論」期末レポート

氏  名:菅谷 充 

『考古学から見た近世都市江戸』および
『地下に埋もれた民俗資料』書評レポート

書評対象論文
谷川章雄『地下に埋もれた民俗資料』(『月刊文化財』(338) 「江戸時代を発掘する〈特集〉) 1991年 20~25頁。
谷川章雄『考古学からみた近世都市江戸--考古学と歴史学の関係をめぐって』(32)(『史潮』「〔1991年度歴史学会シンポジウム〕史料再考〈特集〉」 弘文堂 25~45頁。

はじめに
 谷川章雄氏による「考古学からみた近世都市江戸」と「地下に埋もれた民俗資料」の両論文は、考古学と歴史学、考古学と民俗学・民具学の共通性と相違点を検証したうえで、学際的研究の必要性を訴えるものである。ただし、闇雲に学際的研究に向けて邁進することを推奨しているわけではない。

考古学と歴史学
 両論文で述べられている考古学とは、江戸を対象とした近世考古学のことである。東京都内での発掘調査が活発になったのが1980年以降という事情もあって、江戸研究は文献史料を拠り所にする歴史学が、長年、その重責を担ってきた。
 しかし、都心での発掘が増えると、文献には記述のない資料が大量に発見され、従来の常識を覆す事態となった。その一例が、ごみ処理の問題である。
 従来の研究では、明暦元年(1655)11月以降、江戸のごみは町々で集められた後で深川先の永代浦に運ばれ、埋め立てに使われたとされている1)。その一方で、古着・紙屑・傘・提灯といった生活必需品は、リサイクルによって徹底的に使い込まれたため、ごみの量はごく少量であったという2)。ところが近年に発掘された武家地の庭や地下室からは、明らかに不法投棄されたと思われる大量のごみが発見されている。地下室の存在は『守貞漫稿』などにそれらしき記述はあるが、ごみについての記述は見当たらない。
『徳川実紀』から下級武士や町人の日記に至るまで、豊富な文献史料が存在する江戸時代については、歴史の大半が文献で明らかになったかのように見えていた。だが、それが錯覚でしかなかったことは、考古学調査の結果からも明らかである。
 とはいえ、発掘された資料だけで、それがいつの時代のものかを特定するのは困難であり、当然、文献史料との照合が必要になる。その結果、発掘された資料が使われていた年代が特定できた幸せな例もあるが、それは一部に過ぎないようである。地下室が作られた目的や不法投棄されたごみが存在した理由についても、文献史料が発見されていないことから、いまだ不明で推測の域を出ていない3)。
 さらなる歴史学と近世考古学の学際的な研究が必要なことは、いまや自明の理だが、後述のとおり谷川氏は、そのような早急な結論は出していない。

考古学と民俗学
「地下に埋もれた民俗資料」では、民俗学の創始者でもある柳田國男の考古学批判を引いているが、谷川氏が別論文4)で述べているように、1970年代から発展した近世考古学は、すでに柳田の批判を克服した。それどころか、もし柳田が、現在の近世考古学の有り様を見たら、強い関心と共感を示したのではなかろうか。というのも民俗学の研究方法を見ると、近世考古学と、よく似たところが多いからである。
 柳田民俗学の出発点は、農村における民衆の生活史調査であった。もちろん文献史料も調べるが、その多くは、たまさか起きた変事を記録したものが多く、平時の記録が残されていないと柳田は述べている5)。民具学を提唱した宮本常一は、文献史料が少ない理由に、近世までの識字率の低さを挙げていた6)。
 農村の民衆史を探るために、柳田は伝承(フォークロア)を収集し、宮本は民具に目をつけた。どちらも文献史料の隙間を埋める作業であるともいえるが、これは近世考古学も同じなのではなかろうか。
 民衆は都市にも住み、民話や伝承も都市に存在した。『耳袋』(根岸鎮衛)7)などは、その好例であろう。もし柳田や宮本が近世以降の江戸・東京にも目を向け、都市民俗学のようなものが発達していたら、近年になって成果が顕著になった近世考古学との学際的研究は、早い時期に実現していたようにも思われる。
 近世考古学と民俗学のコラボレーションは、不幸にして、いまだ確立していない。歴史学や自然科学の分野も含んだ学際的研究は、これからの蓄積を待つ必要があるが、谷川氏は、『考古学から見た近世都市江戸』では「できれば考古学・文献史学・民俗学などを全て取り込んだ形で一人の研究者が研究するのが望ましい」という藤本強氏の言葉を引き、『地下に埋もれた民俗資料』では「学際的研究はつまるところ個人のなかで行われていくべきなのである」と論文を結んでいる。これらの文章は、近世考古学と他の分野との学際的研究が進んでおらず、また、近い将来においても実現の可能性が小さいという谷川氏の諦観のようにも感じられた。

おわりに
 近世考古学と歴史学・民俗学・民具学などの学際研究は、一部に成果は出ているものの、明確な協働態勢が取られるまでには至っていないようである。その理由のひとつとして、「江戸の発掘」を進める近世考古学が、世間一般の人口に膾炙していない点があるのではなかろうか。たとえば現在のエコロジーブームのなか、江戸は、屎尿やごみのリサイクルシステムが再評価され8)、太陽エネルギーだけを使った究極のエコロジー都市として、理想郷化されているイメージもある。
 そのような文献史料がもたらした「通説」に対し、近世考古学は、ごみの不法投棄の事実や地下室の発見といった「成果」を、新書などの「わかりやすい形」で、広く世に問う必要があるように思われる。常識を覆す発見を世に提示し人々の関心を引き寄せることが、学際的研究の発展にも貢献するのではなかろうか。
(文字数:本文2,154文字)


(1)廃棄物学会(編)『ごみ読本』 中央法規出版 1995年。
(2)伊藤好一『江戸はみんなが環境保全する町』(『江戸時代にみる日本型環境保全の源流』第1章「環境を壊さない暮らしのしかけ」 農山漁村文化協会 2002年)48~53頁。
(3)小林克『地下室考』(『物質文化』47 物質文化研究会) 40~59頁。
(4)谷川章雄『江戸の考古学の方法をめぐって―とくに考古学と歴史学・民俗学の関係について―」(『江戸のくらし―近世考古学の世界』 新宿歴史博物館 1990年) 94~102頁。
(5)柳田國男『郷土研究と文書史料』(『郷土生活の研究法』 刀江書院 1935年) 17~41頁。
(6)宮本常一『日本民俗学の目的と方法』(『宮本常一著作集1「民俗学への道」 未来社 1968年)18頁。
(7)根岸鎮衛(著)・長谷川強(校注)『耳袋』(上・中・下) 岩波文庫 1991。
(8)石川英輔『大江戸えねるぎー事情』 講談社文庫 1993年。
(8)石川英輔『大江戸リサイクル事情』 講談社文庫 1997年。
(8)石川英輔『大江戸えころじー事情』 講談社文庫 2003年。
(8)石川英輔『江戸時代はエコ時代』 講談社文庫 2008年。

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