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あたまを抱えて生きていく

人間は、なぜ3キロ前後で生まれてくるのだろう。

一説によると、ヒトの進化の過程において脳が発達過剰となり「頭でっかち」になってしまった結果、これ以上大きくなると産道を通れなくなるという理由からだという。

そのため、本来であればもうすこしお腹の中にいたほうがいいところ、身体の器官が未熟な状態で生まれてきてしまうのだそうだ(ほんとうかどうかは、知らない)。

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わたしは、不妊治療をした。子供がほしいと望み、自然にできないならべつの方法でと医療によるサポートを受けた。「不妊治療」という言葉から深刻そうな事態を想像する人がいるのだけれど(もちろんとても深刻な事態の方もいます)わたしは虫歯になったので歯医者に通う。みたいな感覚だったので、この体験を特別視していない。これから、もっともっと一般化すると思う。(と思っていたら、スガさんが保険適用と言い出してキタ…!となった)

その課題と解決に3年ほどの時間を要したので、「子供を産み、育てる」とはどんなことなのかを考える時間があった。日々情報を受け取り、周囲の意見を聞いて、自分の考えをめぐらせた。文字通り、子育てに対して「頭でっかち」になっていたのである。

でも。

実際の子育ては、思っていたほど”過酷”でも”キラキラ”でもなく、驚くほど「オリジナル」だった。他人と自分の体験は違う。それを突き付けられるような気分だった。人の言うことは助けになるようで、万能ではない。結果、自分の頭で考えるしかなく、それがとてつもなく面白い。

私たちは、大きすぎるあたまを抱えて生まれ「頭でっかち」のまま生きている。

たくさんの情報を得て、無駄なく。効率よく。最短距離で。そんなふうに行動しようとしたって、思った通りにはならない。目の前にいる人間は、この世の中にひとりしかいない「サンプル=1」なのだから。

毎日ぶっつけ本番。毎日限界に挑戦。そんな日々が、もともと「頭でっかち」気味の私を人として整えてくれた。考えても、しょうがない。やってみないと、わからない。それを”子育てだけの1年”から学んだ。

きっと、これからもあたまを抱えて生きていく。

他人が言っていることを鵜呑みにすることもあるだろう。メディアから受け取る情報で考え方が偏ることもあるだろう。やったこともないのに、先入観で決めつけてしまうこともあるだろう。取り越し苦労ばかりして、なかなか行動を起こせないこともあるだろう。

でも、「他人と自分の体験は違う。どんなことでも、自分の頭で考えるしかなく、それがとてつもなく面白い」のだと悟った日のことをわすれない。おおきなあたまをグラグラさせながらも、まずはその足で一歩を踏み出してみよう。これが子供が生まれて1年と少し経った、いまの私のこころのなかである。


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