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今死にたいと全く思わない人生でよかった

ここのところ、死ぬのが怖い、いつか死ぬのにどうして私は今生きているんだろう?と考える瞬間が増えた。


ことの発端は一昨年10月の祖父の死。その時私は祖父が亡くなって涙を流すこともなければ、別れの言葉をかけることもなかった。
自分自身に同じように降りかからない限りは、大きな出来事も案外受け入れられる方だった。例えば東日本大震災の、津波の映像なんかもそう。
祖父が亡くなったという事実に対しても冷静というどころか、亡くなった人に言葉をかける無意味ささえ感じていた。もう息もしていないのだから、わざわざ声に出して言葉をかけなくたっていいだろう。返事がないのに話してどうする?と思っていた。
返事のない、通じない会話というののハードルの高さが私には特にあった。まあその話はおいおい。

話を戻す。祖父が亡くなったということはすんなり受け入れられた代わりに、葬儀の間も、自分が死ぬ時のことをたくさん想像して怖くなった。
私は息ができなくて苦しくなるというのが何よりも怖い。首を絞められて殺されるとか、溺れて死ぬとか、病気で呼吸困難になるとかが1番嫌な死に方だ。
自分が死ぬ時は、息ができなくなったとしても、それを感じないくらいに意識が朦朧としている状態か、いっそ寝ている間がいい。それにしたって、いつ死ぬのかわからない、という不安に毎日毎日直面する60?年後の自分のメンタルが大丈夫なのか、今から心配してしまう。
今は、楽しく過ごしているうちは、誰かと過ごしているうちは、生きている今に全うすることができるのだが、1人になるとたまに死への恐怖で暗い気持ちになる。

最近は等身大の自分に合う本を読みがちで、「わたしたちが27歳だったころ」を読み終えたし、今は「20代で得た知見」や小説「自転しながら公転する」を読んでいる。皆私と同じように、将来がどうなるかわからない不安を持ちながらも今を全うしているんだなあと勇気づけられた。学生と家庭の狭間で、好きなことを1番自由に出来る時間に、死ぬ時できるだけ後悔のないように、やりたいことをやり切るのが、少しでも死への恐怖を減らすことにつながるのかもな、と思う。



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