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最高の人生のつくり方

こんにちは。
むらっしゅと言います。

突然ですが、
皆さんは今、ハッピーですか?
僕はとてもハッピーです。
そしてこれからも死ぬまでハッピーな自信があります。

なぜ僕がこんな感覚や自信を持てるようになったのかには
明確な理由があると思っています。
今日は自己紹介も兼ねてそのお話をさせてください。

思い返すと、これまでの人生、多くのことを経験してきました。
ホストクラブやサパークラブで働いたり
ベストセラー作家に弟子入りしたり
起業したり、海外移住したり、
その移住先の国に旅行中の母が突然亡くなったり。

そんな中、他と比べてみても
その後の僕の人生に最も影響を与えたイベントは
"高校受験"
でした。 

「そんなものが?」と思う方もいると思いますが、
話は僕が小学校5年生の時までさかのぼります。

その頃の僕は、毎日学校の授業が終わると
友達とすぐに校庭に遊びに行く、どこにでもいる普通の子でした。

ある時、二人の姉も通っていたからという
なんてことない理由で僕も塾に通うことになりました。
僕が自分で行きたいと言い出したのかは覚えていません。
勉強は苦手ではなかったですが、特別得意でもなかったと思います。

そうして通い出した塾ですが、
その塾には大学生の(アルバイトの)先生が多くいました。

勉強にあまり興味のなかった僕は、
授業中も授業後もその先生達とよく雑談をしていました。
その雑談の中で
「厚木高校はいいぞ、厚木高校に入ったら最高の高校生活が送れるぞ」
という話を色んな先生からたびたび聞いていました。
その塾の大学生アルバイトのほとんどが、厚木高校という高校出身で
その先生たちがみんな口を揃えて上のようなことを言っていたのです。

単純な僕は
「そっかぁ、そんなに楽しいならその高校がいいな、そこに行こう」
となんとなく考えるようになりました。

時は流れて中学校に入ります。
そこで最初にもらった通知表の結果は中の上くらいでした。

その頃、本屋でふと
高校受験案内
という分厚い本を手に取り
厚木高校
を調べる機会がありました。
偏差値…69
まだ偏差値という概念も正しく理解していませんでしたが
今のままじゃ行けないということだけは分かりました。

その時初めて
なんとなく欲しがってはいたけれど、
今のままでは確実に手に入らない
悔しい、でも手に入れたい。
という感覚を強く味わいました。

その日から、僕の目標は明確に『厚木高校に合格すること』になりました。

受かるにはどうすればいいか、通知表の成績はどのくらい必要なのか
何をどれくらい勉強すればいいのか
などを常に考えるようになりました。

毎日、たくさん勉強しました。
成績を上げるために、嫌いな先生にも媚をうりました。
少しでもプラスに働くかなと、生徒会もやりました。
納豆を食べると頭が良くなるとテレビで見たので
その日からほぼ毎日納豆を食べました。
"頭の回転が速くなる"と謳う速聴CDを毎日のように聞いていました。
部屋には『厚木高校合格』という張り紙を何枚も貼りました。
全ては厚木高校に受かるために行動していました。
「厚高落ちたら俺死ぬわ」と
親に言って泣かせたこともあります。
それくらい本気でした。

こんなエピソードもあります。
厚木高校に受かるには、当日の試験だけでなく
中学校の通知表も全て好成績である必要があります。
そんな中、僕は美術(絵)が苦手過ぎて、どれだけ真剣にやっても
5段階でずっと2でした。
そして中学校3年生の1学期の成績もやはり2でした。
当時の神奈川県の高校受験では
中3の2学期の成績が大きく影響するのですが
その中にもし2が一つでもあるようであれば
100%、絶対に、厚木高校には合格できません。

僕は必死に考えました。
これまでずっと2だった能力を
ここにきて急に3にすることは現実的じゃない。
じゃあどうすればいいか。
どうすれば、先生は僕に3をつけてくれるか。

2学期の美術の内容は『絵本を作る』でした。
絵で勝負したら勝ち目がないことは明確です。
僕は『ストーリー』で勝負することに決めました。
先生が絶対に最低3をつけてくれるストーリー。
逆に言えば2をつけられないストーリー。

どのくらい考えたのかは覚えていませんが、
ようやく良いアイデアが降ってきました。

僕が厚木高校に行くストーリーを絵本にしてしまえばいい。

主人公はアツギニア(厚木高校)という国(学校)に行きたいが
そのためにはチケットを入手(受験に合格)する必要がある。
チケットを手に入れるためには
手持ちのお金(通知表の成績)を持って
多くの人が参加するセリ(入試)に勝たなければならない。
主人公はセリ(試験で点数を取ること)には自信がある。
だが、主人公は現在、
アヒル(成績の2。見た目が似ている)を飼わされていて
アヒルの飼育代でセリで競うお金(通知表の成績)が足りない。
早急にこのアヒルを飼ってくれる人を探さなければ
アツギニアに行く道は断たれる。
(当時の通知表は絶対評価ではなく相対評価だったので、
先生が2をつける人数も3をつける人数も決まっている)
果たして主人公は無事にアツギニアに行けるのか?

という形で始まり、その絵本の中でもう

主人公は無事にアヒルの引き渡しに成功し
ためたお金を持ってセリに挑み、無事にチケットを入手して
アツギニア国に行くことができました。
めでたしめでたし。

というハッピーエンドまで含むようにしました。

ちなみに下手に絵を描くと
その絵のせいで2をつけられるリスクがあると思ったので
ここはもう思い切って全て棒人間で描くことにしました。

これを提出した中3の2学期。
受け取った通知表の美術の成績は。。。。



見事に3。

これで厚木高校に受かるための”最低条件”は満たされました。

その後はもう結論だけになるのですが、
無事に合格することができました。

合格発表当日、封筒の中の紙に
合格
と書かれていた時の感動は今でも忘れられません。

すぐに母親に電話をして
「受かったよ」
と伝えたら
『良かった、、、本当に良かった。。。トンビが鷹を生んじゃった、トンビが鷹を生んじゃった』と泣きながら何回も言われました。
落ちたら死ぬと言っていたので、母も心から安心したんだと思います。

そして無事に入学。
塾の先生たちが言ってくれていたように、
本当に最高の高校生活を送ることができました。

これが僕の高校受験のお話ですが
僕がこの中で学んだことをまとめさせてください。

・環境が大事
→塾の先生の多くが厚木高校出身だったから実現できたこと。
小学生の僕は、周り(先生)の多くが厚木高校出身なんだから
自分だって当然に行けると思っていた。
これは後に誤りと気付かされたけれど、環境によるいい思い込みだったと思う。

・目標が見つかれば人は勝手に動く
→僕は親に「勉強しろ」と言われたことが一度もない。
言われなくても最初からできた、とかではなく
本当に勉強してこなかったので
ずっと成績が良かったわけじゃない。
けれど、目標を見つけてからは、どうすれば頭が良くなるか
勉強ができるようになるかばかり考えてひたすら自主的に行動していた。

・ピンチの時は自分が戦える分野で戦う
→絵本の課題を与えられたときに、棒人形ではなく
真剣に絵を描きに行っていたら確実に2だったと思う。
僕は絵ではなく、"思い"と"ストーリー"で戦った。

・相手の立場になって考える
→ただひたすら美術の先生に
厚木高校に行きたいんです
3を下さいお願いしますと懇願してもダメだったと思う。
自分が先生だったとして、どんな内容なら3をつけるか
(2をつけられないか)とことん考えてそれを実行した。

まだ伝え足りないので、表現を変えてもう一度まとめさせてください。

中学生、高校生くらいまでは
自分で環境を選ぶことは正直難しいかもしれません。

でもそれ以降は、自分の意志で環境を選ぶことができるはずです。
バイト、サークル、会社、習い事、なんでも。

自分の身近にいる5人の平均が自分とはよくいったものです。
もし自分の人生を素敵なものにしたいのなら、
その5人(環境)を自分で変えてしまえばいいだけです。

目標がないのに真剣に頑張り続けるのは不可能だと思っています。
まずは自分が本当に欲しいものが何か、どんな人生にしたいのか
真剣に考えてみましょう。それが見つかれば体は勝手に動きます。

何もかも得意な人はいません。
逆に全てが苦手という人もいないはずです。
苦手なものばかりに注目せず、得意なことを思い出しましょう。

この世は自分一人ではなく、他の誰かと一緒に生きていくものです。
自分にも要求があるように、相手にも要求があります。
ただこちらの要求を一方的に伝えるのではなく、
相手は何が欲しいのか常に考えるようにしましょう。

冒頭で書いた
『僕が常にハッピーで、自信を持てている』
その理由ですが
『高校受験を通して学んだ上記のような事を
これからももし意識し続けられるのであれば
心から欲しがったものはなんだって手に入り
結果、人生は確実にいいものになるという"法則を知っている"から』
というのが僕なりの答えです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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めちゃくちゃ喜びます。

一緒にこの世界で最高の人生をつくっていきましょう。

おわり








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