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楽しもう。もっと生きよう。

彼女に付き添う形で、MRI検査のためにクリニックへ行ってきた。生きていると色々なことが起こる。Sさんが偶に引用している言葉を引用する形になるが、「人生とは、何かを計画している時に起きてしまう別の出来事」とは本当だ。寸前のところでまさかということが生じ、あれよあれよと別の出来事へと導かれる。その可能性を怖いと思えば動けなくなるが、むしろ不快さも面白いのだと思えたら、不安感もジェットコースターに乗る前のようなドキドキワクワクに変貌する。

病に関してはどうすることもできないが、寄り添うことならできる。禍患を前にして、今まで自分にももっとできたことがあったのではないか、とベクトルがつい自分方向へ向いてしまいがちだが、振り払いたいと思う。過去のことを後悔しようったって覆せない。覆せるとしたら、今から変わり始めることだ。俺にできることは俺が凛として振る舞うこと。堂々と生きること。それが巡り巡って、そばにいる人のためになるなら、俺は何を失っても構わない。

言葉より行動だ。よく自分に言い聞かせる言葉だが、その言葉自体も言葉に過ぎない。すぐには行動を起こせなくても、姿勢を正すことならできるはずだ。いや、姿勢を正せたのなら、それはもう行動と呼んで差し支えないのかもしれない。片手で全世界の情報に繋がれる時代だが、「正しさ」とは他人に決めてもらうものではなく、経験を通して自分でゆっくりと着実に固めていくものなのではないだろうか。色々ある中でも、俺は「それでも楽しく生きていこうじゃないか」という姿勢を忘れたくない。

楽しいなら、それはもう正しいのだ。昨日は、監督と北千住散歩を満喫してきた。カラオケに籠もり、一心不乱にBUMP OF CHICKENの『天体観測』を絶唱し、喉が枯れた。一日の時間が三日間に感じるほど濃厚な時を過ごし、腹が減りまくった我々はかつやでカツカレーをおもっくそ掻き込んだ。滅多に外食をしない倹約家の二人がゆえに、その安価で(コスト的にも)うまいカレーを前に「うめえうめえ」と鼻水を垂らしながら、この気持ちを歌にできたらいいよねと笑い合った。

カツカレー(竹)(セール価格だった!)

ずばり、俺の好きな人は可愛い人だなと思う。見た目のことではないというと嘘になる。なぜなら、可愛さはオーラとなってその人の全身を包み込むからだ。突然だが、「無敵の人」という「社会的に失うものが何も無いために、犯罪を起こすことに何の躊躇もない人」という意味のネットスラングがある。真の意味で(とか言っちゃうが)、無敵の人は可愛い人だと思う。可愛ければ何をしても許される。人間の奥底には常に可愛さが宿っていると思う。生き直すこと。それはつまり可愛さを取り戻すこと、ではないだろうか。

LUSH COFFEE ROASTER and LABORATORY(項垂れる監督)
荒川河川敷
旅は続く

苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。